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夜の眠りにつく瞬間を、僕は毎日心待ちにしている。ピアニスト・小山実稚恵のシーデーを聴きながら眠るのが至福なのだ。あれ以来、僕は小山実稚恵のシーデーを図書館からせっせこ借りまくり(合計13枚にも及ぶ)、そのピアノの音色を聴いているだけで幸せな気分になる。夜のお供は何といっても「夜想曲集」。

寝る時に音楽をかけるのは最近始めたことではなく、去年ふとしたきっかけから瞑想アプリを使うようになった。「無」の状態になる瞑想状態になりたくて、スマホに瞑想アプリを落とし、スイッチを押すと、瞑想に入る為のガイダンスが流れてくる。その指示通りに行うと、とても心地の良い瞑想が出来る・・・・・・・・・はずなのだが、何といっても僕はベッドに入ってから眠りにつくまでモノの10秒とかからないのだ。そのガイダンスが始まり、1分も経たないうちに、僕は瞑想どころか、深〜〜〜い眠りの世界へと入ってしまうのである。だから最後までガイダンスを聴いたことがなく、結局それは止めてしまった。

ところが去年パリのハマム(トルコ式サウナ)に行った際、ひとしきりスチームサウナにマッサージにと堪能した後、ゴロ寝するスペースで横になっていたら、いかにもなアラブの怪しげな音楽と薄暗い照明が妙に心地良く、うつらうつらしているうちに不思議な経験をしたのだ。半分は起きているのだが、半分は寝ているような状態。眠っているように思えるのだが、でも確実に意識はある。そしてまるで過去へのタイムトラベルを始めたかのように、子供の頃の懐かしい記憶が甦り、と同時に、その風景が目の前に、しかも鮮明に現れたのだ。まるで映画を観ているように。それは小学校時代の夏休みだった。自宅から車で3分のところにある祖父母宅の近く。タイムマシーンに乗って過去の自分に会いに来たかのようでもあるし、当時を俯瞰で観ているような気にもなった。恐らく、僕がとても「幸せ」と思える時期なのだろう。とにかく心地良かった。

東京で月一回通っているアーユルヴェーダ(インド発祥のマッサージ)の施術師にこの話をしたら、それはある種の瞑想状態なのだと言う。状況が揃えば、またあの不思議で心地良い感覚を経験出来るかもしれないと、また例の瞑想アプリを落とした。ただ前回とは違い、今度はガイダンスのない、ただ音楽が流れるだけのアプリ。パリで経験したような、あんなにも鮮明な映像が流れて来ることはなくても、それなりに心地良い。ストレスの多い現代社会で生きる中、こういう「無」になる時間は必要だと思う。

小山実稚恵のピアノに再会してからは、こんなに素晴らしい音色をバックに眠れるのは最高の至福なのではないかと、再び瞑想アプリを止め、小山実稚恵のシーデーをかけてベッドに入ることにしたのである。夜想曲を聴きながら目を閉じると、日々の雑念やストレスから解放されて、幸せな夢を見ることが出来る・・・

のだが、やはり問題は、1分もしないうちに寝てしまうことなのであった。

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今年の秋で今のマンションに入居して丸12年になる。2年毎に物件探ししては納得のいく物件に巡り合わず更新を続けているわけだが、今年は早くも半年前からネットで物件検索を開始。すると、世にも魅惑的な物件を見つけた。

1LDK。従来の予算よりも2万円下。今住んでいるところの2駅先(都心寄り)。駅から徒歩2分。築15年のデザイナーズマンション。

早速内見を申し込む。今迄は築10年以内に限定していたけれど、今のマンションより2〜3年古いだけなので、それなりにまだ綺麗なはず(と思い込む)。この立地、広さでこの家賃は掘り出し物と思い、いても立ってもいられなくなった。外観も美しい。毎日帰るのが楽しみになるのではないだろうか。苦節10年、この物件に出合う為にこれだけの年月を費やしたのかも知れない。・・・と、見る前から期待してはいけない。いつだってそうじゃないか。間取り図や写真を見て「イケる!」と思っても、実際に見に行くとガッカリというパターンを何度繰り返してきたか。でもでも、今回は違うだろう。これで決まりかも知れない。そんな予感がビンビン。でもこんなに早く見つかるとは思わなかった。来月には引っ越しとなるだろうか。急だなぁ。引っ越し面倒だなぁ。と思っていたところに、ハタと重要なことに気付く。今は何月?来月は何月?そう、今がちょうど引っ越しのハイシーズン時期。ということは?引っ越し代が高くつく。えーーーっ、引っ越し業者も強気になっていることだろう。時期が悪いなぁ。内見してガッカリ、というパターンの方がいいのかも。だって今引っ越したくないもんね。でもでも!せっかく見つけたスゴイ物件。あえて超絶な期待をしておこう。

自転車で現地に向かう。通い慣れた道だ。何を隠そう、その町はかつてあの世にも可愛いコーギー犬・リクが住んでいたのだ。今はもう千葉に引っ越ししてしまった友がリクと住んでいた家とは反対側にある、運命のデザイナーズマンションは駅から徒歩2分ながら大通りから離れているので、静かな住宅街にあった。写真で見た通りの洒落た外観が目に飛び込んできた。何から何まで洒落ている。が、しかし、築15年を感じさせる。エントランスには想像したほどのトキメキはなかった。肝心の部屋に一歩入った時の感想は「やっぱり15年か」。ところどころ汚れている。洒落ているか、というと、そんなでもない。打ちっぱなしのコンクリートの壁と、白い壁。デザイナーズにありがちな、それゆえにダサく古く汚く見えてしまうところに目がいく。毎日この部屋に帰って来るのが楽しみになるか、というと、そうでもない。1階の角部屋で広い庭もあるが、「だから何ですか?」という感じ。日当たりが凄くいいわけでもない。確かに相場よりも安いだけはある。ガッカリ。しかも、敷金はゼロだが、礼金1ヶ月の他に、退去時に1円も戻らない保証金なるものまで1ヶ月分かかる。この物件の魅力はただ一つ。立地の良さ。

というわけで、苦節10年の夢はあっけなく散った。毎回恒例、今のマンションの方が何十倍も綺麗であることに気付かされる。うなだれて帰宅し、改めて検索をかけると、自宅から程近いマンションを見つけた。

1LDK。予算よりも1万円強高い。駅から徒歩4分。築4年。

間取りと写真に目を奪われた。,茲蠅5平米広い。本当は今住んでいる町を出たいのだが、この物件に住めるなら、しかも予算を1万円以上オーバーするけど、それでもいいかも知れない。一棟賃貸だが、分譲賃貸かと思うような贅沢な造りに見える。予算オーバーするということは、生活費の何かを削らなくてはならない。そこが悩みどころだ。しかも今と同じ町。とはいえ、である。こんなに魅力的な物件が他にあろうか?内見をしたら即決めてしまうのではないだろうか、という不安がよぎる。もしそこに住むことになるなら、お金もかかるから今年秋のフランス旅行は来年に延期にした方が良いかもしれないと思い、既に発券済みの無料航空券の日程変更条件を思わず調べてしまった。

翌日内見に行く。1LDKの部屋は今まだ借主が退去前ということでその部屋は見られず、2LDKの部屋を見ることになる。10平米も違うが、雰囲気だけは分かるだろう。ドアを開けると、南向きだけあって、白い壁と薄いベージュの床が明るく輝いて見えた。が、輝いていたのはそれだけ。部屋に入って最初に感じたのは「安っぽい」。どれひとつ取ってもチープな感じ。築4年なのでまだ新しいが、クリーニング前の風呂場は「えっ!」と思う程汚れていた。これからどこまで綺麗になるのか知らないが、使う人によってこれだけ汚くなるとは。たった4年なのに。11年半も住んでいる我が風呂場のほうが断然綺麗だ。まぁ、でもその部屋に住むわけではないからそれはいい。とにかく気になるのは、キッチンにしろ窓にしろカーテンレールにしろ、素材の安っぽさだ。今の僕の部屋の方が断然質がいい。そして、大通りに面しているだけあって車の音がひっきりなしにうるさい。二重窓にするとか、そういう対策も取られていないから24時間うるさいだろう。

やはり苦節10年は続くようだ。どの物件を見ても今のこのマンションと比べてしまう。もう一生この狭い部屋から離れられないのではないか?と思ってしまう。

というわけで、まだまだ物件探しは続くのである。

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11年半前、今のマンションに引っ越してくる時、かなり物を処分した。収納もそんなに大きくないから物を増やさないようにしようと心がけ、なるべく物は買わず、本は図書館から借りるなどしてきた。まぁ一応、いつ何時、誰が訪問してきても慌てふためかないよう(学生時代と違って突撃訪問も滅多にないが)、部屋は整理整頓されている。見た目は。目に届くところは。だがしかし、11年も経てばそれなりに物は増えている。収納を開けると既にパンパンで、決して美しく整理整頓されているとは言えない。手前のものをごっそり引き出さないと奥にあるものを取り出せない、なんてのもザラだし、自慢げに収納上手を語ることなど出来ない。狭い部屋で小さな収納と暮らすにはそれなりの工夫が必要。なのだが、時にイラッときて引っ越したくなるのだ。

2年に一度の更新の度に「今度こそ引っ越そう」と物件を探すのだが、今よりも高い家賃を設定しても、今の部屋よりいいところが見つからない。で、結局、不本意ながら更新することになる。もう今年で12年目。ああ。結局今年も更新になるのかなぁ・・・なんて言うと「それだけ住み続けているということは今の部屋には不満がないってことでは?」と言われる。そうなのかも知れない・・・でも、もっと都心に近くてもっと広い部屋に・・・と心は揺れるのである。

引っ越しも面倒だしなぁ、と思いつつ、目をそむけてきた収納の整理に取り掛かってみると、出るわ出るわのゴミの山。ゴミ袋5袋分は軽くあった。すると驚くことに、今や収納スペースに空きが出たのである。たっぷり捨てたんだから当たり前の話だが。スッキリ気分と同時にドッと疲れた。これで半日は丸つぶれ。ついでに風呂場もせっせこ綺麗にする。そういえば歯磨き粉で磨くと綺麗になると母が言っていたことを思い出し、今迄目を背けていた汚れをせこせこ磨いたらつるぴかに。

掃除と整理に時間を費やしていると、思いもよらぬ物との再会を果たすことがある。かつて必死に探していたのに見つからなかったものや、「なんでこんなもの大事に取っておいたんだろう?」と思うようなもの。今回僕の目に飛び込んできたのは、犬の服だった。

かつて近所に住んでいた友人の犬・リクをよく預かっていた時に着せていたもの。コーギー犬のリクは尋常じゃない位の毛が抜けるので、何か対策はないものか調べたら「服を着せると幾分マシになる」とあったので、ペットショップに買いに行ったのだ。それまで僕は服を着ている犬になんの魅力も感じず、逆に白い目で見ていた位だ。でもその服で毛抜けが少しでもマシになるなら・・・と服を買いに出かけたところ、心が浮き立つ自分がいた。どれもこれもリクに似合いそうなのである。リクは12kgもあったので小型犬とは言えず、選択肢があまりないのが残念だったが、迷いに迷って1着選んだ。そして着せてみたら、なんと似合うこと!可愛くて可愛くて気絶しそうだった。しかもさすがに小型犬用の服は小さくてパッツンパッツン。これがまた可愛くて悶絶。当の飼い主は呆れていたが、僕は翌日もペットショップに走った。まぁ、なかなかサイズが合わないこともあり、結局その2着で打ち止めになったのであるが。

家に来る度に服を着せて僕ひとりが喜んでいたわけだが、そうこうしているうちに来なくなった。面倒を頼まれた時は、家で預かるのではなく、友人宅に行ってエサをあげるなり散歩するようになったから(その方が掃除やら何やらの手間が省けた)。自然と犬用の服は出番がなくなり、収納の奥の方にしまわれ、一切のお呼びがかからなくなった。そしてリクは昨年亡くなってしまった。今回何年かぶりにその服を手にし、これを思い出として残しておこうか、と思った。匂いを嗅いでみたが、リクの匂いはしなかった。次の瞬間、迷わずゴミ袋の中に入れた。その服を見るだけで悲しい気持ちになりそうだし、他の犬に着せるというのも何だか違う気がしたからだ。リクのことは毎日思い出すし、携帯を見れば必ずリクがいるので、きっとリクも怒りはしないだろう!

捨てられない症候群の僕が一旦スイッチが入ると、あれもこれも捨ててしまうのだが、その「捨てスイッチ」の勢いにのって、必要なものまで捨ててしまったのではないかと気になってしまうのは毎度のことである。

 

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前回のブログに書いた通り、クラシック・ピアノのコンサートに行きたくてたまらなくなった僕が、ふと思い浮かんだピアニストは小山実稚恵さんだった。ショパン・コンクールとチャイコフスキー国際コンクールの両方に入賞した唯一の日本人ピアニスト。僕が十代の頃、鶴岡にコンサートに来た時に初めて演奏を聴いたのだが、それまでに感じたことのない感動を覚えたことをハッキリと覚えている。何か凄い迫力だった。音が強いとか大きいとか、そういう単純なことではなく、音に込められた想いというか、客席に届くエネルギーが、明らかに他のピアニストとは違っていたのだ。興奮して帰宅したのを覚えている。一流演奏家の生演奏を聴くチャンスの少ない田舎で育った僕は、とにかく、コンサート、ミュージカル、演劇と、何かに触れる度に惚れてのぼせて帰るのが常だったが、小山さんの時は、さすがショパン・コンクール入賞者だけあってタダモノではない・・・と子供ながらに感じていた。

あれから25年以上が過ぎた。渋谷のオーチャードホールに行く度に「小山実稚恵ピアノ・リサイタル」のポスターを目にした。2006年から2017年まで毎年2回ずつの「12年間・24回リサイタル・シリーズ」を行っていたのだ。ちょっと興味をそそられつつ、いつか行こうと思いながら今日まできてしまった。再びクラシックに目覚めた僕が行きたいコンサートはもちろん小山実稚恵であり、検索したところ、2月に杉並公会堂でバイオリンとチェロとの三重奏、6月にオーチャードホールでピアノ・リサイタルがあることが分かった。今の僕の頭はピアノで一杯なので、他の楽器とのアンサンブルやオーケストラには食指が動かない。ならば6月のリサイタルで決まりなのだが、1月下旬の時点で「5ヶ月も待てない」と思い、思い切って両方のチケットを購入したのであった。

しかも杉並公会堂は自宅から自転車でも行ける距離。自転車でコンサートに行けるなんて気楽でイイ!僕が行っている美容院もその近くにあるので、コンサートの前に予約を入れた。自宅→美容院→コンサート→自宅、すべての移動を自転車で!と、思っていたところに「2月9日、東京23区も大雪の恐れ」のニュース。なんじゃー!!!この日に限って!!!仕方ないからバスか電車で行くしかないなぁ、と自転車は諦めていたのだが、結局雪降らず。やっぱりね〜〜〜。台風直撃だとか大雪だとか、最近の天気予報は煽るだけ煽って結局大したことなく終わる東京の天気。今回も降る降る詐欺であった。というわけで、もっこりと着込んで自転車を走らせたのであった。

ここ最近忙しくてちょっと疲れていたので、この日のコンサートを殊更楽しみにしていた。映画やコンサート、演劇では居眠り常習犯の僕、毎度胸が張り裂けるほどの後悔をすることになるのだが、今回は居眠りさえも贅沢な時間として許容しようと思っていた。贅沢ではないか、一流演奏家の音楽をバックにうつらうつらなんて!チケットを買うのが遅かったこともあり、席は2階席だった。そんなに大きなホールでもないので見やすいだろうとは思っていたけれど、来週行く「中島みゆき夜会」で最悪な席(僕が大嫌いなな2階席)を掴まされて、怒りにまかせて先日購入した双眼鏡を今回初めて持参した。席に着くと、プゥ〜〜〜ンと香水の香りが。隣のおじさんから。まったく、香水は控えてくださいよ。あんべわりぐなるぅ〜(庄内弁で「具合が悪くなる」の意)と心の中で悪態をつきながら、まぁでも、キツイ加齢臭とか体臭よりは断然いいか、と思い直す。と、ふと、「いや、この香りは隣のおじさんではなく、後ろのおばさまだろうか?」とも思えてきた。実際はどっちかは分からず仕舞い。

さて肝心のコンサートであるが、予想以上に良かった。今回はベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」とメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番で、まぁ正直言って僕が好きな曲調ではないことは最初から分かっていたのだが(激しいのが好きなのだ)、メンデルスゾーンの曲がとても美しいメロディーで甘美だった。思えばベートーヴェンもメンデルスゾーンも十代の頃発表会で弾いた(「悲愴」「プレストアジタート(無言歌集より)」)。また弾きたくなった。今度帰省したら楽譜引っ張り出して練習しよう!などと考えつつ、もしかしたら途中うつらうつらしたのかも知れないけれど(よく覚えてない)、やっぱり美しい音楽を一流演奏者の生演奏で聴くというのは、至極贅沢で心が洗われる優雅な時間であると改めて感じた。今度パリではオペラを聴きに行くし、6月の小山実稚恵ピアノ・リサイタルも今から楽しみ!!

終演後、サイン会があった。CDを買っていなくてもOKという太っ腹で、僕も列に並びプログラムにサインをしてもらった。小山さんには25年前に山形で初めて演奏を聴いて感動して、今日はその時以来であることを伝えた。他の2人(バイオリニストとチェリスト)にもサインを頂いたが、おべっかを使えない僕は何も言わなかった(サインに対してお礼は述べたけど)。分かりやすい僕。



【第一部】
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」変ロ長調 作品97
【第二部】
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49
【アンコール】
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」より第2楽章

ピアノ:小山実稚恵
ヴァイオリン:矢部達哉
チェロ:宮田大
| 鑑賞記 | comments(0) |
2016年に亡くなったピアニスト・中村紘子さんの最後のエッセイ集『ピアニストだって冒険する』を読んでいたら、長い間深い土の中で眠っていたクラシック音楽熱が呼び起こされてコンサートに行きたくたまらなくなり、ヨーロッパ旅の記述を読めば元々あるフランス熱が更に高められて5月の旅行に早く行きたくてたまらなくなり、あまりにも中村さんという人が面白くて過去の著書も全部読みたくて、今すぐ全部読みたくてたまらなくなり、一言で言えば身悶えさせられている。

僕が12〜3歳頃、地元にコンサートに来られて、両親と一度聴きに行けたことは、今になって思うと非常にラッキーだったと思う。超が付く満員で、客席が足りず、ステージの上にまで客席がいた程の人気ぶりで熱気も凄かった。ピアニストは、ステージに登場してピアノの前に座り、しばーらく精神統一の時間を持つので、聴衆は静寂の中で今か今かと始まりの音を待ちわびる。永遠にピアノを弾き始めないのではないかと思う位、時間がかかるピアニストもいる。それなのに中村紘子というピアニストは、椅子に座り切らないうちからピアノを弾き始める、という形容が大袈裟とは思えない程、パッと演奏を始めるのが印象的だった。

5歳からピアノを習い始めた僕と中村さんには共通点がある。なーんて書くことすら憚られるほど、世界的な大ピアニストに対して、とてもとてもそんなことは言うのは恐れ多いけれど、「ピアノ」という共通項があるのは事実なのであるが、本を読んでいたら、思わず声を上げそうになった位(僕は電車の中でしか本を読まない)、共通項どころか、共感するというか、「同じだー!」と思う箇所があった。

それは、1965年のショパン・コンクール入賞後にヨーロッパでコンサートをするうちに、当時留学中だったニューヨークよりも、ヨーロッパの方がはるかにご自身の感性にしっくりとくることを知ってびっくりした、という話。というのも、ニューヨークにどこか馴染めないと思いながらも、中村さんは自分がとても「アメリカナイズ」されていると勝手に思い込んでいたというのだ。更には、アメリカには2人の「生涯の友」がいて、ファックスやメールで毎日のように近況報告をし続けているというのに、「アメリカ人はどうも苦手」という。

かくいう僕も、十代の頃は超が付くほどアメリカに憧れて、アメリカなしでは生きていけないという位かの地に恋焦がれている自分を「アメリカナイズされている」と思い込み、自ら望んで高校時代の1年間をアメリカで過ごしたけれど、実際に住んでみると、どんどん興味関心は薄れ、肌には合わない国と思うようになっていった。その後、大学でフランス語を専攻して、これまた1年間フランスに留学した時は、この国に身を置いているだけで幸せと感じ、文化や人々の感性も、自分にとてもしっくりくることに気が付いた。

かといってアメリカでの1年間がつまらなくて不幸だったかというと、そういうことはなく、学校生活における人間関係には恵まれて、特に後半はだいぶエンジョイしていた。今でも当時を思い出すと、楽しかったことばかりが思い出されて胸が熱くなる。当時に戻りたいとさえ思う。実のところ、フランスよりもアメリカの方が今でも連絡を取っている友人がいて、フランス人よりもアメリカ人の方が友人は多い。にもかかわらず、これまた中村紘子さん同様、アメリカ人はどうも苦手、という意識がある。

つまるところ、1+1は必ずしも2ではない、ということですね。十代の頃はとにかく飢えていた。食に、ではない。文化的なものに。田舎にはなかなかコンサートに来る歌手や演奏家がいなかったので、知らないピアニストであろうが誰であろうがコンサートに来るとなれば飛びついて、その度に感激しまくって、しばらくはその余韻の中にいた(ドイツのヴェルニゲローデ合唱団が来た時などは、その合唱の美しさに大感激して、毎日会場で購入したCDを聴き、ドイツに留学することを本気で考えて、留学斡旋団体に問い合わせをした程だ)。その後、都会暮らしで、いつでも望むコンサートに行ける環境に身を置くようになると、クラシックには一切見向きもせず、ポピューラ音楽三昧になった。でも僕の作る音楽には、クラシックの影響も少なからずある。中村さんの本を読んだ後、我慢できず、クラシック・ピアノのコンサートのチケットを一気に2公演分購入した。クラシックに再び心が傾いている今、今後の自分の音楽活動にどう影響を及ぼすのか、楽しみなのである。
| マジメな話 | comments(0) |
毎年のフランス旅行や家族との国内旅行、これらは日々の活力の源にもなる。近年は、楽しく印象的な旅にすべく、事前のリサーチ(しかも超早目)に余念がないのだが、宿選びをしながらふと気づく。年々求めるものが増えるのだ。そもそも、ネットのない昔は旅行会社やガイドブックから提供される宿の中から予算に合う宿を、それほど迷わず選んだものだが、今や情報量は膨大な上に口コミまで読めてしまうのだから(丹念に読んでしまう)、失敗しない宿選びにすべく、情報収集だけでぐったりだ。だったら適当に選べば・・・とはいかない。

去年、パリのホテルを選ぶ際、地域にこだわった分、抽出される数が多くなかったのはいいものの、オシャレで便利な中心部にした為、当然の如く単価は高く、部屋は卒倒するほど狭かった。驚くなかれ、1泊1万3千円で11平米のシングルルームだったのだ。予約した後、やっぱりやめれば良かったかな、などと後悔したものの既に料金は支払ってしまっていたので(ゆえに早割で安く泊まれる)、
「まぁ、寝るだけだし!寝るだけだし!!寝るだけだしぃぃぃ〜〜〜!!!」
と必死に自分に言い聞かせ、なるべくホテルには遅く帰ればいいや、と思っていた。でもそれは甘かった。もう貧乏旅行していた20代前半ではない。あの当時は11平米どころか、ユースホステルで見知らぬ人たちとの相部屋でも全く構わなかった。とにかく安いところ。綺麗とかシャレてる広いとか、そんなのどうでも良かった。本当はどうでも良くなかったけど、そういうホテルにはもっとオトナになってから泊まろうと思ったのだ。そのオトナになった今、さすがに11平米は面白くなかった。特別綺麗でシャレてるわけでもない、何の変哲もないホテルの部屋に、1日中歩き回って疲れた体で帰るにはつまらなすぎた。ホテルのスタッフはとっても親切だったし、決して不潔なホテルではなかったけれど、でもどことなく何となく気持ち悪い部屋の雰囲気に、さっぱりリラックス出来なかった。シャワールームなど公衆電話ボックス並の狭さで、体を洗うのも一苦労。目が覚めた朝も「あ〜!パリの朝!!」などという爽快感はゼロ。

というわけで、やっぱり、僕にとって寝床は重要なのである。旅先でのホテルやアパートでの時間も楽しみたい。快適に過ごしたい。「あ〜、今○○にいるんだぁ〜」と実感したい。フランスの地方だと、安くてオシャレなアパートが幾つもあって選択に苦しむが、パリだと快適そうなアパートやホテル探しは料金が高くて苦しむ。抽出された300軒以上のアパートを吟味しながら、それでもコレといったところが見つからず、ふと一昨年はどんなアパートに泊まったのか改めて見て気が付いた。あの頃よりも「求めるもの」が増えているのだ。経験を重ねるってそういうコトね。じゃあ予算を上げましょう。ちょっと位なら・・・。しかしちょっと待て、今回はオペラを観に行くことにもしていてそのチケットだって高額なのに、たかが寝る為だけの宿にそんな・・・、いや、たかが寝るだけではない、去年の11平米を思い出すのだ!そうだそうだ、それなりに快適な部屋を・・・でも望むような部屋は予算をかなりオーバーする、やっぱり妥協するしかないかぁ・・・。そんな風に悶々としながら諦めかけていたところに、ようやく元の予算内で「これぞっ!」という部屋を見つける。しかも僕が予約しようとしている日以外はほとんど埋まっている状況。迷わず予約をし、闘いにピリオドが打たれた。

毎回毎回、「今回は安く上げよう!」という目標は掲げるものの、旅を重ねるごとに、どうも安く上がらなくなっているような気がしないでもない。アパートに泊まるんだから、高くつく外食はやめて自炊しよう、なんて毎回思うのに、旅行中は気持ちが大きくなって、「せっかくの旅行でケチるのもイヤだし」と財布の紐は緩くなり、自炊など1度もせずに終わってしまう(毎食レストランというわけではなく、パン屋の惣菜で済ませることもあるけれど)。でも今年こそは頑張る!!自炊、一度くらいはね!
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