昨年後半から相次ぐ著名人の訃報、年明けの震災、飛行機事故。つい2日前には中村メイコさんの訃報。だからなのか、今朝はとても不吉で怖い夢を見て、夜中の4時半にハッと目が覚め、夢の余韻でしばらく寝付けなかった。昼過ぎには、かつてテレビやSNSで大人気だった柴犬まるが亡くなったことを知り(イベントにも行ったし、我が家にはまるのクッションもある)、悲しい気持ちでいたところに、とどめを刺すかのように八代亜紀さんの訃報。ジムに行く電車を待っている間に目にしたそのニュースに、一瞬時が止まったかのように衝撃を受けた。去年、膠原病の為年内一杯の活動を休止されていたけれど、今年1月のコンサートから復帰と発表されていたので、そろそろそんなニュースも出る頃と思っていた矢先のこと。ショックでずっしりと気分が重い。
「80歳になっても歌っていたい、その頃には今みたいなコンサートの本数はこなせないと思うから、年に1回位のコンサートで、ロビーには”今日は八代亜紀の生『舟唄』を聴きに来た”と言う若者が沢山来ている、それが夢」
とよく語っていたし、「八代亜紀」としてデビューしてからは一度も仕事に穴を開けたことがないというくらいだから、体が丈夫な人だったはず。だから、この人は長生きするものだとばかり思っていた。人の運命は本当に分からない。
去年はパリ公演も成功させているし、50年も休みなく歌い続けて来て、コロナ禍になって初めて「歌わない」日々が続き、それで喉の調子が良くなって絶好調だとも語っていたので、近年は更にやる気に満ちていたはず。もう生歌が聴けないんだなという寂しさよりも、もっともっと歌いたかっただろうな、絵を描きたかっただろうなと思うととても辛く悲しい。僕は数えきれないくらい生歌を聴くことが出来た。コンサート、劇場公演、ディナーショー、公開録画、イベントで。しばらくご無沙汰していたけれど、去年3月、閉館する中野サンプラザでのコンサートに行ったのが最後。あのコンサートは早々にチケットが売り切れていたので、行けて本当に良かった。
2016年に八代さんが発表したシングル「JAMAAS〜真実はふたつ〜」が胸に沁みる。モンゴルの国民的な歌のカバー。この世には真実がふたつある。それは「人は生まれて、そして去ってゆく」ということ。若い頃は美しく、終わりが来るなどとは知らずに、宛てない旅をする。でも思えば幸せも命も、借りた物。いつかその日が来たら、感謝して返しましょう。永遠の別れは止まらない。そして、最期の瞬間・・・
回りに子供たち いくつもの顔が囲む
午後の優しい陽だまりと 窓辺にはゆれる風
お願いもう泣かないで わたしは笑っているのよ ほら
みんなほんとにありがとう どこかでまた会いましょう…
この歌にあるように、最期は安らかだったのかな・・・苦しまなかったのかな・・・。でも、死因となった急速進行性間質性肺炎は、すごく苦しかったんじゃないかな・・・。報道によれば「一時は食欲も回復して退院の時期を考える時もあった」とある。キャシー中島さんのブログによれば、去年11月の終わりに、たまたま車から声を掛けられたという。これが「2023年11月終わり」のことであれば、一時退院していたのかな。(ちなみに、キャシーさんご夫妻を八代さんのコンサート会場でお見かけしたことがあるし、花を贈られていたこともあったので、長年親交があったのでしょう)
2005年にはゴダイゴの浅野孝已さんプロデュースによるオムニバス・カバー・アルバム「昭和 Vol. 3」に参加し、八代さんの「日本海」をカバーした。この歌をはじめ、好きな歌が沢山。当分、悲しくて聴けそうにもないけれど…。
心よりご冥福をお祈りします。
ちょうど20年前(2004年)、僕のCD『記憶の森へ』を手に…
さようなら…