でも、せっかく書いたので落選作をこちらで披露します!
「苦しみの鉄板焼き」
異国でまず最初に恋しくなるのは、家族の顔や母語の前に、母国の味だろう。ほかほかの白いご飯、熱い味噌汁、香ばしい沢庵、焼き魚。これと言って何の変哲もない極々普通の食べ物が食べたくなるのが常だ。
1994年夏、高校2年の私は交換留学生として米国ジョージア州に1年間留学する為に、生まれ故郷の山形を後にし、渡米前の手続きの都合で東京の伯母の家に2泊した。渡航前夜、従兄も加えて伯母宅で3人で壮行会を行った。気風のいい伯母である。暫く日本を不在にする私の為に、料理上手な伯母が供してくれた“最後の晩餐”は手の込んだ日本料理の数々、ではなく、シンプルな鉄板焼きだった。不満だったわけではない。新鮮な肉と野菜が次々と目の前で焼かれ、醤油と柚子胡椒をかけた大根おろしと共に食したその鉄板焼きが、渡米後の私を苦しめる原因となった。
豊富な食材と最高の栄養バランスを誇る日本食を知る食欲旺盛な16歳にとって、かの地の食生活は言わずもがな残酷だった。来る日も来る日もハンバーガーにピザ、そして冷凍食品。ホームステイ先では、よく耳にするボリューム満点な食生活ではなく、元々痩せ型の私は1年も滞在していたのについぞ太ることはなかった。決してケチなホストファミリーだったのではなく、様々なレストランにも連れて行かれたが、質も量も物足りず、私は常に食欲と闘っていた。ふと頭に浮かぶのは、出発前夜に伯母の家で食べたシンプルな鉄板焼きだった。一度思い出すと止まらなくなり、あの味が恋しくて恋しくて、私は何度ものたうち回った。
アトランタ郊外には日本食レストランが多く存在し、日本食を食べる機会はよくあった。特に人気があったのはジャパニーズ・ステーキハウス。職人が目の前で焼いてくれる、いわば鉄板焼きだ。私の頭を日々狂わせているそれが、ここアメリカで人気があるとは幸運とばかりに、外食先としてよく利用していたが、その度に、アメリカ人向けにアレンジされた味付けが、逆に伯母のシンプルな鉄板焼きを強烈に思い起こさせ、更に私を苦しめるのだった。
帰国したらとにかく伯母の鉄板焼きを食べたい。今それを食すことは絶対に不可能なのだと思えば思う程、食べたくなる。どんな高級ステーキを食べようが、どんなに手の込んだ地元料理を食べようが、更にはアトランタ市内で純日本風の和食を食べようが、あの鉄板焼きには何も適わなかった。何度妄想の中で伯母の鉄板焼きを味わったか知れない。
かくして鉄板焼きに彩られた1年を終え再会した伯母に「1年ぶりの日本食、何が食べたい?」と訊かれ「鉄板焼き」と答えた時には腰を抜かしていたが、想い続けた味との再会には涙に暮れた。しかしあの渡米前夜の鉄板焼きにはいまだに苦しめられている。あれ以上の味に出合えないのだ。