2009.09.03 Thursday
◆ 恐るべしSNS!14年前の真相が明らかに?!
使っているSNSは主に mixi だけだが、MySpaceとFacebookにも一応アカウントを持っている。紹介されてアカウントを作っただけでほとんど使っていないが、さすが世界中で使われているだけあって、ビックリする人から連絡がきたりする。高校時代に1年間アメリカ留学した際に知り合った人からのコンタクトが主だが、帰国して14年近くも音信不通だった人からの連絡は驚くと共に懐かしくて、同時に、僕の名前をフルネームで記憶していてくれたことや、思い出してくれたことが凄く嬉しいと思う。そりゃ、とんでもない騒ぎだ(心の中で)。そしてその繋がりから僕を発見してくれた共通の友達や知り合いが、更に僕にコンタクトしてくれて、正に芋づる式だ。
当時、僕が留学した高校には日本人は他に誰もいなかったし、アジア人自体がほとんどいなかったので(少しインド人がいたくらい)、目立つのは必至。よって、ちょっとしたことですぐに噂は広まり(光の速さだった)、言動行動には慎重にならねば!と思った程だった。壁に耳あり障子に目ありの、ちょっとしたスター気分
(アメリカに障子はないけど)
留学前、アメリカにはいろんな人種がいるので、日本人だからといって特別扱いされない、注目もされない、珍しくもないから自分から積極的にならないと友達は出来ないと、何度も何度も聞かされたが、南部(ジョージア州)という土地柄や気質からか、そんなことはまるでなく、いろんな人にしょっちゅう話しかけられた。最初の頃こそ、沢山の人に話しかけられて「一杯友達が出来た!」と錯覚していたが、実際は挨拶友達止まり、そこから友達という関係まで発展するかどうかは自分次第で、確かに自分から積極的にならないと友達は出来なかった。決していい思いばかりをしたわけではないが(アジア人軽視の差別的な態度をとる人も極僅かだが存在した)、つまるところ、校内では知られた顔になった。クリスマス・コンサートで歌った模様がケーブルテレビのニュースで放送されていたことも、知らぬ人から「昨日テレビに出てたよ」と知らされて知った。
ここ最近、SNSを通じてちょくちょく連絡が来るようになり、時々困るのは、顔も名前も知らない、でも知人かもしれない人からコンタクトがきた時。一瞬無視しようとするのだが、「共通の友人」欄をチェックすると、何人も共通の友達がいる。ということは、同じ学校だったということだ。同じ授業をとっていたことがあるのか(アメリカの高校の授業科目は選択制)、話したことがあるのか、挨拶したことがあるのかさえ分からない。もしかしたらあるのかも知れないと思うと、「承認」してしまう。
僕の「アメリカ留学日記」は、当時の日記を元にして細かく書いたものだが、友達によって、日記にも書かれていないすっかり忘れていたことを思い出させてくれたり、ごく最近コンタクトしてきた人は、「何それ?」と思うような新事実というか弁解なのか、当時の新真相を書いてきた人もいた。プロムという卒業ダンスパーティーに行く相手を探していた時、先生がミッシェルを紹介してくれたのだが、ミッシェルに確認しようとしたら、不機嫌な顔で「そんな話聞いてない」と言われて終わったのだ。おかしいなと思い、翌日先生に確認したところ、ミッシェルが僕に話しかけようとしたら、僕が無視をしたので傷ついたから、プロムには一緒に行かないことにしたのだと言う。まったく身に覚えのないことだった(詳細は第50話「バートン先生」)。
それが、14年ぶりに明かされた真相として本人から聞かされた話では、「私たち一緒にプロムに行こうとしたのよね!でもお互い車がなくて断念したのよね!」・・・これも身に覚えのない話で、車の有無の確認にすら到達しなかったのだ。結局プロムにはデスカという超美女と一緒に行ったのだが(この組み合わせが決まった時も、光の速さで校内に情報が駆け巡り、フランス語の授業の時はプロムの話で持ち切りになり、授業を中止して1時間丸々僕のダンス・レッスンになった程だ)、SNSに載っている僕とデスカのプロム写真のコメントに、ミッシェルは「これ11年生(高校2年)の時の写真だよね?本当は私たちが一緒に行くはずだったけど、車がなくて結局行けなかったんだ!」と投稿していた。謎は謎のまま終わるばかりか、謎は謎のまま生き続ける。しかしこのプロムも、ペアを決める段階から終わりまで滑稽だった(詳細は第63話「言ったり言われたり」、第64話「プロム」)。
振り返ると切ない。当時関わった沢山の人たちはどうしているのだろうか。会いたい人たちは沢山いる。でも、きっと僕に会ったら皆ガッカリするだろう。当時と比べて、僕の英会話力は悲惨な状態になってしまったから!
当時、僕が留学した高校には日本人は他に誰もいなかったし、アジア人自体がほとんどいなかったので(少しインド人がいたくらい)、目立つのは必至。よって、ちょっとしたことですぐに噂は広まり(光の速さだった)、言動行動には慎重にならねば!と思った程だった。壁に耳あり障子に目ありの、ちょっとしたスター気分


ここ最近、SNSを通じてちょくちょく連絡が来るようになり、時々困るのは、顔も名前も知らない、でも知人かもしれない人からコンタクトがきた時。一瞬無視しようとするのだが、「共通の友人」欄をチェックすると、何人も共通の友達がいる。ということは、同じ学校だったということだ。同じ授業をとっていたことがあるのか(アメリカの高校の授業科目は選択制)、話したことがあるのか、挨拶したことがあるのかさえ分からない。もしかしたらあるのかも知れないと思うと、「承認」してしまう。
僕の「アメリカ留学日記」は、当時の日記を元にして細かく書いたものだが、友達によって、日記にも書かれていないすっかり忘れていたことを思い出させてくれたり、ごく最近コンタクトしてきた人は、「何それ?」と思うような新事実というか弁解なのか、当時の新真相を書いてきた人もいた。プロムという卒業ダンスパーティーに行く相手を探していた時、先生がミッシェルを紹介してくれたのだが、ミッシェルに確認しようとしたら、不機嫌な顔で「そんな話聞いてない」と言われて終わったのだ。おかしいなと思い、翌日先生に確認したところ、ミッシェルが僕に話しかけようとしたら、僕が無視をしたので傷ついたから、プロムには一緒に行かないことにしたのだと言う。まったく身に覚えのないことだった(詳細は第50話「バートン先生」)。
それが、14年ぶりに明かされた真相として本人から聞かされた話では、「私たち一緒にプロムに行こうとしたのよね!でもお互い車がなくて断念したのよね!」・・・これも身に覚えのない話で、車の有無の確認にすら到達しなかったのだ。結局プロムにはデスカという超美女と一緒に行ったのだが(この組み合わせが決まった時も、光の速さで校内に情報が駆け巡り、フランス語の授業の時はプロムの話で持ち切りになり、授業を中止して1時間丸々僕のダンス・レッスンになった程だ)、SNSに載っている僕とデスカのプロム写真のコメントに、ミッシェルは「これ11年生(高校2年)の時の写真だよね?本当は私たちが一緒に行くはずだったけど、車がなくて結局行けなかったんだ!」と投稿していた。謎は謎のまま終わるばかりか、謎は謎のまま生き続ける。しかしこのプロムも、ペアを決める段階から終わりまで滑稽だった(詳細は第63話「言ったり言われたり」、第64話「プロム」)。
振り返ると切ない。当時関わった沢山の人たちはどうしているのだろうか。会いたい人たちは沢山いる。でも、きっと僕に会ったら皆ガッカリするだろう。当時と比べて、僕の英会話力は悲惨な状態になってしまったから!
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