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伝達手段である「言葉」は、共感も呼ぶけれど誤解も生む。いずれにしても、10人中10人に、自分の言葉(思い)が100%正確に伝わることはない。逆に、相手の言葉も、相手が意図した通りに自分が受け取れるとは限らない。そう考えると、言葉は、受け取り手の受け止め方がすべてのように思えてしまう。例えば、何気ない冗談を発した相手がいくら「これは冗談で、悪意があって言ったのではない」と力説しても、自分が「どう考えても冗談には受け取れない」と思ったら、もはやそれは「冗談」ではなくなるのだ。

経験もしかり。“百聞は一見に如かず”とは真理であり、いくら知識として知っていても、経験に勝るものはない。自分が経験したことのない他人の苦悩を、想像は出来ても、実感として理解することは不可能だ。だから、「こんな大変なことがあって…」と他人に話したところで、その思いが相手に理解されるとは限らないし、共感も語弊も生む「言葉」を使うのだから正確に伝わるとも限らない。

なーんていう話をしていたら、高校時代の1年間のアメリカ留学が頭の中を駆け巡った。これまでの経験の中で最も強烈だった。これぞ正に言葉の問題から人間関係まで、様々な困難に満ちていたけれど、今となれば、宝石のように輝いている1年だ。楽しいことは沢山あったけど、その何倍もの苦悩があった。世間知らずな16、7歳ゆえの葛藤もある。ただ、「1年間のアメリカ留学」という経歴から受ける誤解や語弊は良くも悪くも少なからずあるもので、一方的で一般的な“高校生の留学”の穿った華々しいイメージを取り払いたい思いもあり、数年前、当時の経験を「アメリカ留学記」としてサイト上で発表した。これが結構面白がられたし、“アメリカだーいすき!”という趣の留学記とは違うところで発したいこともあり、誤解を招く覚悟もしつつ、当時の視点のまま正直な思いをどんどん書いていった。通り一遍の楽しい留学記なんて途轍もなくつまらないし、僕は単純に、16歳の自分が見て経験して感じたことを、そのまま伝えたかった。軽く口にしただけでは誤解しか招かれないような、複雑な思いが混じる苦悩や真実を知ってほしいと思って書いたのも理由のひとつだ。

Facebookのお陰で、当時出会ったホストファミリー、友人たち、先生たちとは簡単に近況を知らせ合えるようになったこともあり、日常的に20年前当時のことを思い出したり、夢に見たりもする。思い出すと胸がいっぱいになるくらい、幸せな思い出が詰まっていて、今すぐにでも皆に会いたくなるけれど、同時に、当時抱えていた複雑な心境も蘇る。最近になってまた留学記を読んでくれた人から感想を貰ったりしたこともあり、久しぶりにサッと読み返してみた。大きな出来事やトラブルなどに関しては、勿論自分自身の体験なので、じっくり読まなくても顛末が分かっているけれど、自分で書いておいて改めてハッとしたのは、中学時代は熱に浮かされたように憧れてやまなかったアメリカに対して、どんどん大きくなっていく嫌悪感の記述だ。

留学生活が進むにつれて、感動的な体験があったり、気のおけない友人たちや先生たちとの交流が深まり、今でもあの頃の「笑い」を鮮明に思い出せるくらい学校生活を謳歌していた反面、アメリカに対する嫌悪感は増していった。ゆえに複雑だ。この部分こそ、誤解せずに理解してくれる日本人はさほど多くはない(けれど、たまに共感してくれる人に巡り会う)。僕も今では、それほどの反米意識はないのだが、あまりにも強くなっていった反米意識は大学時代に専攻したフランス語や、フランス人、フランスからの見方が影響していると思っていた。が、この留学記を読み返すと、嫌悪感は大学に入ってからではなく、既にアメリカ時代にあったのだ。

以下、一部引用。

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この国(アメリカ)がどんどん嫌いになっていくようで恐かった。これといった特色ある文化もなく、rude(無礼)な人々が多くいるように感じた。大好きだった英語も、日常コミュニケーションの手段となると、(表現豊かな日本語と比べると)どうも味も素っ気もなく、言葉というよりは「暗号」のように感じて、英語を話すこと自体、イヤになりそうだった。
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親友のフィリップに誘われて、(学校で)毎週木曜日の朝に参加していた(キリスト関係の)FCAミーティングには、大して気分が乗らないまま、何となく行っていた。ある朝、ミーティングの後、メンバーのひとりから声をかけられた。
「キリスト教を信じてる?」
なんでそんな質問するんだろうかと思いつつ黙っていたら、
「嫌いでしょう?」
と迫ってきた。僕は質問に答えぬまま、「Why?(なんで?)」と訊き返した。彼は僕が「What?(何?)」と訊いたと聞き間違えたのか、「アメリカ文化が」と答えた。
「アメリカ文化をもっと知りたいなら、図書館に行け」

彼がどういう意図でそんなことを言ってきたのか検討がつかなかった。(中略) 僕は文化的交流を目的とした交換留学生であるにも関わらず、今自分が住んでいる国を否定的にしか捉えられなくなっていきそうなことに、自分で気付かない振りをしていた。アメリカ文化?アメリカに文化なんてあるのか?心の中で反発していた。
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「アメリカは好き?」「この町は好き?」「日本より?」 この類の質問は一年中続いたが「日本よりも好きか?」と訊かれると心はかなり拒否反応を起こした。こんな野蛮な国・・・と心の奥底では思っていた。世界ナンバーワンの国アメリカが、すべての人にとってナンバーワンなんかじゃないんだと言ってやりたい思いがあった。
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(とある店の対応の悪さに腹を立てていたホストマザーを見ながら)僕も相変わらず “This country sux(=sucks イヤな国だ)・・・”と心の中で(アメリカに対して)悪態をついていた。渡米前に観た『ミスター・ベースボール』というアメリカ映画には、アメリカの野球選手たちが日本にやってきて、その文化の違いに戸惑ったりする場面が多々あるのだが、主人公のアメリカ男が日本のことを「イヤな国だ」という意味で“sux”という俗語を用いていたのを、僕はそっくりそのまま心の中で返してやった。
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日本に帰りたいと言えば帰りたいが、それでも帰りたくはなかった。もっともっと吸収しなければならないことがあるように思った。それなのに、帰国する夢をよく見る。帰国しないまでも、日本の友人や、同級生の夢もよく見た。ある日は、両親がアメリカまで迎えに来る夢を見た。
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ケネディー先生に叱られた。僕の日頃のアメリカ批判、アメリカ人批判はこの帰国間際になって爆発した形となっていた。でも話の最後には和解した。そして先生は「誤解してたようだ」と言って僕に謝った。いい人たちに恵まれて幸せなはずだったが、その裏ではうんざりするようなことが山とあった。とはいえ、アメリカ人に向かって、いくら信頼し合っているといえども、そこまで批判することは筋違いだった。
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前後のストーリーなく、ここだけを切り取ると過激だ。しかしこれは、嬉しいことや感動の陰にあった沢山の苦悩のひとつに過ぎず、絶えずこのことで悩んでいたわけではない。

ひとりの老婦人との出会いも印象的だった。

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うなだれていた僕は、パーティーも終盤に差し掛かった頃、ティーナのおばあちゃんと色んな話をした。ケベック出身のフランス系カナダ人であるその老婦人は、若い頃にアメリカに来た為、今ではもうフランス語は話せないと言う。折からの僕の表情を見て悟ったのか、僕の目を見つめ、やわらかな優しい声で、
異国の地で、あなたが今どんな思いでいるのか、よく分かるわよ
と、一言呟いた。

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この時のことをよく覚えている。僕は自分が抱えていた苦悩について話したわけではなかったけれど、悩んでいる人に対して、多くの慰めの言葉など必要ない。たった一言で心がほぐれる時がある。理解者がいてくれるだけで救われるのだ。

海外生活で辛酸を嘗めない人はいない。大変な状況の中でいかに楽しくするかは自分次第である。様々な波が押し寄せて来た1年ではあったけれど、総合的に見たら、幸せな1年だったと言える。一端だけを語れば重苦しいが、沢山の貴重な経験や楽しい人たちとの出逢いにより、僕のアメリカ留学は楽しく幕を閉じている。

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帰国まであと残り3ヶ月足らずになっていた。冬が終わり、春の風が吹いていた。(親友フィリップと買い物に出かけた)夜の帰り道のドライブで、助手席の窓を開けて夜の風を受けながら、感慨深い想いに耽っていた。この風の匂い・・・懐かしい匂いがした。3年前、留学を志した頃を思い起こさせた。念願叶ってアメリカに来ている。様々なことがあった。絶望的な気持ちでいた頃、長い時を過ごさなければならないと思っていたのに、もうあと3ヶ月しかない。そして今、やっと心から楽しいと感じられる自分がいた。(中略) アメリカで英語を習得したい。それも叶えられた。だけど、そんなことよりももっと多くの、もっと大きな、そして生きることの意味、大切さに気付き始めたことの方が、よっぽど僕にとって意義のある収穫ではないか、そう思えてきた春だった。そして、帰国は刻一刻と迫っていた。
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帰国前夜に家で開かれた僕のお別れパーティーが終わり、友人たちや先生たちとの別れの時が来ても、自分が明日には帰国するということを実感出来ないでいた。(中略) いつものように大笑いし、皆の笑いが絶えないパーティーだった。この時間が永遠に続くのではないかと錯覚するほどに、あと少しで皆とは別れなければいけない時間が来ることをまるで知りもしないかのように笑い続けていた。・・・しかし、残酷にもその刻はやってきた。深夜になり、皆がいつもの笑顔で去って行く。そう、また明日学校で会うかのように。いつものように、僕たちはまた明日学校で会い、冗談を言い合って大笑いするのだ。しんみりとした別れが僕には似合わないのは分かっていた。
「寂しくなるわ!コウ!」
バートン先生の声が聞こえた。何の意味も成さない、ただの音に聞こえた。なぜ、寂しくなるなんて言うのだろう?昨日も今日も明日も変わらないはずなのに、明日も会えるはずなのに・・・。皆が僕の視界から消えて行き、玄関先にひとり取り残された時、僕はようやく明日には帰国するのだという実感を持ち愕然とした。ひたすら「寂しい」と感じた。昨日と今日は同じでも、今日と明日は違うのだ。昨日も今日も僕はここの住人だったけれど、明日からはもうここにはいない。あの学校には二度と通わない。この愉快な先生たちの授業を受けることもない。フィリップに「家に居たくないから遊ぼうよ」とせがむこともない。ケネディー先生に「ヒマだからどこかに連れてってよ」とわがままを言うこともない。これまでの日常は全て消え去り、過去になるのだ。

どうしようもない気持ちを抱えて、僕は自分の部屋に入った。全てが終わった・・・。やっと終わったのだ。まだ残っていた荷造りをしながら、家を出る朝の4時まで僕は起きていた。もうこの先、二度と眠ることのないこの部屋で・・・。

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留学記を読み返して、様々な感慨に耽っていたら、当時の友人が懐かしい写真を送って来た。


コーラスのクラスメイトたちとニューヨークに行った時。


帰国間際、学校行事(Field Day)にて・・・らしい。実はこの写真に関しては一切記憶がない。
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