スマホ版





◆関連リンク
◆更新履歴
◆最近のコメント

2週間前の金曜夜、11時過ぎにかかってきた母からの電話に、僕は身構えた。母の「もしもし」という第一声がいつもの明るいトーンであることを願いながら電話に出たが、気丈ながらも決して明るい声色ではなかった。
「月曜日におばあちゃんが入院して、1〜2週間で退院できると言うから、連絡はしなかったんだけど・・・」
この電話での会話における僕の記憶は、ここから曖昧だ。「今日突然容態が・・・」と言ったかどうかは定かではないが、次第に母は涙声になり、決定的な言葉を聞く前に、僕の頭の中は真っ白になった。「亡くなってしまった」という、僕が最も恐れていた言葉を耳にした途端、電話口の母は泣き、僕も何ひとつ言葉は出ずに泣いた。母に掛ける言葉も何も出てこなかった。明日には東京にいる2人の伯母も鶴岡に帰るから一緒に帰ってきたら、という母の提案に返答し電話を切った。すぐに伯母に電話をしたが話し中だった。掛け直すまで数分待っている間、僕は突然冷静になり、涙がスーッと引いた。今年96歳になり、いつも100歳まで生きると豪語し、誰よりも大きな声で喋らずにはいられない、あのスーパー元気な祖母と「死」が結びつかなかったからだ。伯母に電話したら「何かの間違いだったみたいよ。死んではいないみたい」と言われるのではないかと夢想した。やっと伯母と電話が繋がり、翌日の飛行機について話をし、一旦電話を切り、数分後に伯母が掛け直してきた時、これは「やっぱり間違いだった」という連絡なのではないかと期待し、飛行機の時間が決まり、母にメールをし、それに対して母から返信が来た時も、「おばあちゃん、まだ生きてた!」という連絡なのではないかといちいち思ってしまった。去年父方の祖母が亡くなった時もそうだったが、遠い山形で起きた信じ難い出来事を電話で知らされても現実感がなく、夢を見ているのではないかと思ってしまうのだ。

母の実家は車で5分の距離だったこともあり、子供の頃、母方の祖父母宅には日常的に顔を出し、そして世話になっていた。学校が終わると一人バスに乗り、週の半分は通っていた(お向かいの家で飼っていた犬の散歩も目当てだったが)。生まれた時からずっと、本当にありったけの愛情をもって可愛がられ、この祖母とは一番濃密な時間を過ごした。「大好きな」という形容詞では追いつかない程、僕はこの祖母を愛した。愛が強ければ強いほど、失うことが恐くなる。人間にとって最大の苦しみは死別だ。しかし仏教用語に「愛別離苦」という言葉があるように、人は愛する者との別れによる苦しみから逃れることは決して出来ない。ゆえに、僕がこの祖母をいつか失ってしまうこと、いわば「いつかは死んでしまう」という恐怖心を常にどこかに抱えていた。それはこの近年始まったことではないように思う。もしこの祖母が死んでしまったら、僕はそれに耐えられるのかという漠然とした不安。体調を崩して入院することはあったものの、頭はしっかりしているし、食欲もきちんとあり、声は誰よりも大きく、喋らずにはいられず、体操も欠かさず、そして90代になってからハマった読書(それも物凄いスピードで読みこなしていく)で、100歳は余裕で超えられるだろうと思っていた。自分の年齢を自慢する人だったから、100歳になったら更に笑いながら「100歳」という数字を皆に自慢する姿が想像できた。

祖母は自分の母親から受け継いだ魚の行商を最初は嫌々ながら始めたものの、良い檀家に恵まれたこともあり成功を収め(得意のセールストークもかなり功を奏しているはず)、結果的にそれは何よりの生きがいとなって生涯に亘り祖母を支えた。明治生まれの祖父は船乗りだった(12年前に94歳で死去)。この祖父にも可愛がられ、僕にはとても優しかった。僕が子供の頃に始めたピアノや、大人になってから始めた音楽活動に対して、祖父がどう思っていたのか直接聞いたことはなかったが、小学生の頃に「ピアノなんて」と祖父の少し否定的なニュアンスが含まれているような一言に対し、祖母は「あら、ピアノとかそういう音楽が出来るということは、勉強が出来ることよりもよっぽど凄いと思う」と言ったことを覚えている。事実、祖母はピアノの発表会の度に観に来て、客席で満面の笑みで僕を見ていたし、10年前に鶴岡でライブをやった時も着物を着て観に来てくれた。「これだけ楽団(バンド)の人も連れて来たら、それだけお金もかかるだろうに」と商売人らしい言葉を発したことを覚えている。

僕が最低でも年に3回も帰省していたのは、年老いた祖父母たちにあと何回会えるのだろう、会える時に会っておこうという思いがあったからだ。今年のゴールデンウィークに帰った時は、親戚に不幸があった為、祖母以外の皆が出かけてしまい、僕と祖母が2人で留守番をした。2人きりで過ごすのは久しぶりだった。子供の時分以来だったかも知れない。料理を手伝い、2人でご飯を食べた。その間中、ずっと大きな声で祖母は話をしていた。亡くなるこの年に、2人きりで過ごす時間を与えられたのは、今になって思えば偶然ではなかったと思う。

祖母と最後に会ったのは亡くなる2ヶ月前の9月30日。東京の友人を連れて2泊3日で、山形と鶴岡に旅行に出かけた。友人は普通の観光地だけでなく、きっと風情のある、何にもない(信号もない)集落を歩きながら写真を撮りたいだろうなと思い、祖母の家に車を停めて、その周辺を歩こうと計画していた。当日、祖母にそれを伝える為に家に寄ると、予告していなかった僕の突然の来訪に驚いた顔を見せた。「東京から友達が来ていて、この辺を歩きたいから、少し車を置かせてもらっていい?」と言うと、祖母は満面の笑みを浮かべて「じゃあ、後でその人も家に入ってもらって。96歳のおばあさんがいるって伝えて。コーヒー出すよ」と言う。話好きの祖母にとって、誰か話し相手が家に来てくれることは最高の喜びなのだが、あの時の祖母の笑顔が印象的なくらい嬉しそうで、これは絶対に友達に家に入ってもらわなきゃ!と思った。友人は二つ返事で快諾してくれた(ちなみに彼のおばあちゃんは98歳だそうだ)。30分程歩いて回った後、家に入ると、伯母がコーヒーとお菓子を出してくれた。祖母はとっても嬉しそうな笑顔を浮かべながら、「どうもこんにちは。功の孫ばあさんです」とペコリ頭を下げて挨拶をした。当然の如く、そこからは祖母の弾丸トーク。庄内弁丸出しなので、ところどころ僕が通訳しながら。大半は僕の子供の頃の話だったが、途中、祖母の長生きの秘訣となっている得意の体操の話になり、なんと寝っ転がって実演までして見せた。「この間誕生日を迎えて96歳になりました」と、得意の年齢自慢も交えながら。ちょうど昼近くで「ラーメンの出前取ろうか?」と祖母が提案してきたのだが、僕たちは既に別のラーメン屋に行くことを予定していたのでそれを断った。更に、あまり時間に余裕がなかったこともあり、僕は時計を気にしながら、結局15〜20分程で家を後にした(もっと長く居れば良かったと、後に僕自身が心底後悔することになることも知らずに)。ちょっと短すぎる滞在だったかなと思いつつも、僕はあんなに楽しそうな祖母を見られたことが嬉しくて、友人に礼を言った。本当に本当にとっても嬉しそうな笑顔を祖母は僕に見せてくれた。そう、それが最後となることなど、その場にいた誰も知らずに。僕の中の最後の祖母の姿は、あの、優しい、とってもとっても嬉しそうな笑顔なのだ。祖母の最後の姿として、僕はあの顔を一生忘れないだろう。

祖母の死を知らされ、翌日から鶴岡に帰ることになった。翌週に予定していた、前述の友人との約束をキャンセルする為に、僕はその夜メールを出していた。翌朝、羽田空港へと向かうバスの中で、友人からの返信を受け取った。お悔みの言葉と共に、「信じられない」「あの日お会いできて本当に良かった」「忘れられない思い出になった」という旨の言葉が綴られていた。そのメールに対して更に返信を打とうとすると、あの時の祖母の嬉しそうな笑顔が思い出され、泣けて泣けて仕方がなかった。祖母が僕に見せた最後の笑顔・・・。人目もはばからず、僕はバスの中で鼻をすすりながら泣いた。

葬儀では弔辞を読んだ。亡くなってからすべての儀式が終わる日まで、何かと「これが最後の・・・」と枕詞が付く儀式が何度かあるが、僕にとって弔辞が最後の最後の別れの儀式になった(鶴岡では通夜前に火葬する)。弔辞を読むのはこれで3回目だが、「弔辞」と言葉を発した後、次の言葉(おばあちゃんと呼びかける)をなかなか言い出せない。言葉を紡げば紡ぐ程に、最後の別れの刻が近づいてくる。毎回原稿を書き終えると「長いかな」と思いつつ、読み始めるとあっという間だ。先の文章を目で追いながら、「あと少しで終わってしまう・・・」とどうしようもない気持ちに駆られる。最後の言葉「さようなら」と言えば、もう本当にお別れなんだな、と思うからだ。祭壇に飾られた祖母の遺影を見る度に僕は思った。なぜこんなところに祖母の写真が飾られているんだろう、「死」とか「葬式」などとは最もかけ離れた人なのに・・・と。

親戚が一堂に会し皆で一緒にいた時は良かったが、東京に戻る為の飛行機に一人で乗った瞬間、ドッと心の中に重みが宿った。祖母は亡くなったんだ、という現実が腹に落ちたような気がした。幸か不幸か、翌週は忙しい仕事が待ち受けていた。悲しみに浸っている暇はないのだった。だけど、僕は祖母に無性に会いたかった。休みを取って飛行機に乗れば、祖母に会えるのではないかと思ってしまう。肉親が亡くなると、心の中に宿るからより近く感じるようになった、とよく聞くが、僕は祖母のことをまだ近くには感じない。祖母は今でも遠く鶴岡の家に居て、僕の帰りを待っている。

| マジメな話 | comments(0) |
コメントする







◆カテゴリー
◆過去の日記
◆オススメ