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今年も例年通り、鶴岡で新年を迎えた。


大晦日のテーブル。全て母ひとりの手作り。頭が下がります。

昨年祖母を亡くしているので、静かな正月だった。それなりに楽しく年末年始は過ごしていたけれど、ふとしたことや何気ないことで、祖母の不在を痛感させられた。心のどこかで「どうしていなくなってしまったのだろう」と呟いている自分がいる。今回ふと思い出したのは、中学時代のとある日曜日のこと。多分だがあの日は親と喧嘩して、僕は部屋でヘソを曲げていたはず。反抗期真っ盛りの対抗心が作用したのかは定かでないけれど、そっと家を出て、自転車で20分程の祖父母の家に向かった。ちょうど昼時だった。親に行く先も告げず家を出て、僕は祖母に昼ごはんを食べさせてもらい、しばらくして帰宅した。青い時代である。思い返せば、親と喧嘩したり叱られたりすると、よく祖母に愚痴っていた。どんな話をしても、祖母は豪快に笑った。大声で。その笑い声と一緒に僕の憂さもどこかに飛んで行った気がする。祖母はよく笑う人だった。とても面白そうに。子供心にあの豪快な笑い方に憧れていた気がする。周囲の人をよく助けていた祖母は、強く明るい人だった。

1月4日、東京に戻る飛行機に乗った時、祖母の笑顔と笑い声をいつも思い出しながら生きていこうと思った。それだけで勇気と元気が出てくるような気がした。

5日は友達と東京で初めての初詣に行った。昼過ぎ、御茶ノ水の鰻屋で贅沢にうな重を食べてから、神田明神に行ったのだが、これがスンゴイ人の数!商売の神様が祀られていることで有名だからか、会社の人たちが皆でお参りに来ているようだ。怖気づいた我々は、最初に甘酒の店に入って、人の波が引くのを待つことにした。しかし、その店も次から次へと大人数でやって来るので長居も出来ず店を出たら、さっきよりも人の列が増えている!甘酒の前にお参りしておくべきであった・・・。参拝するのにこんなに並ぶとは思っていなかったのだ。とはいえ、ひとりひとりの参拝はパパッと終わるので、そんなに待たずに参拝出来た。



帰りは道路にまで人の列が連なっていて、警察が交通整理をしていた。いや〜それにしてもスゴイ人だった。人だかりの神田明神を後にし、日本橋で友達の買い物に付き合いデパートをウロウロし、夕方になってから麻布へ。もう1人友達が合流し、夜は3人でニュージーランド料理へ。ラム肉が絶品。しかもラム特有の臭みもなく美味しい。ついでに店員もノリがよくて面白く、ついついからかってしまう。新年、東京での1日目から、大いに大いに笑った笑った〜!!

そういえば年末に、かつてよく出ていたライブハウスから電話がかかってきた。音楽とは全く別件だったのだが、その電話をきっかけとして、今年は3年振りにライヴをやろうかと思っております!年内中には!!というわけで、年末から家で発声練習と演奏の練習も再開。意外と覚えているものです。ライヴが決まった暁にはよろしくお願いしますネ!

| 普通の日記 | comments(2) |
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今度はベトナムからこんにちは。
お祖母さまをなくされたとの事、お気持ちお察しします。

というのも、楽しいはずの子供時代と多感な青春時代(古い言い方?)、私の家庭はかなり複雑で、しかも学校で慢性的に同級生から嫌がらせを受けていたので、唯一の心の支えであり、理解者であり、友達であったのが私の場合は祖母でした。

親の転勤で一時期、地方に住んでいた頃はほんとうに生きているのが嫌で、小学2年から学校の長期休暇ごとにひとりで国内線に乗って東京の祖母のところで過ごしていました。

とにかくよく笑い、もてなし好きで、よくしゃべるし、元気でいつもちょこちょこ動き回って、いつも何かしら手仕事をしていました。
彼女も商売人で、チャーミングで、おちゃめで、お洒落で、街を歩けばみんなに声を掛けられる、世話好きで社交的なひとでした。

葬儀には、特に呼んでいないのに、山口組の組長(または金日成)のお葬式じゃないのに!と思うくらいゾロゾロと絶えない参列者が大泣きして死を悼む姿にに残された一族は、ああ愛されていたんだなあとしみじみ思いました。

勉強はできるし、何をやってもそれなりに結果を出すけど、日本の教育では異端児で孤立していた私の語学力や海外での適正を見出だして、反対する親や高校教師を完全無視して留学を後押してくれたのも祖母でした。

ピアノも習って数ヵ月のバイエル半ばで「こんな練習バカらしいから、次の発表会で(生意気にも10才先生がひく曲より難しい)ショパンの幻想即興曲がひきたい。絶対わたし、ひけるから!それがダメなら(当時流行っていたチャゲ&飛鳥の)say yesがいいな。」と豪語して

「もっとベテランの先輩生徒さんより難しいのはちょっと...」とか、「え!?大人のドラマの主題歌の歌謡曲がひきたいの!?発表会で10才の子が?」とかのたまう大人をよそに、

「もしあなたが人様に迷惑をかけるとか、不義理をしたら心を鬼にして叱るけど、私はあなたならではの個性はユニークで素敵だと思うわ!親や先生、世界中が仮にもしバカにして笑っても、最後まで私はあなたのファンよ!」といってくれたのがまるで先週のようです。実際は、早いもので、祖母の死後、もう彼女と過ごしたのと同じくらいの年月が立つのです。

私も祖母がなくなった高校生の時は1ー2年のあいだ毎日毎日、夢で見て、いなくなったことの方が現実じゃなくて夢なんじゃないかと何度も思いました。その度に涙が止まらなくて。

高校卒業のお祝いに、祖母にとっては初の海外旅行として、私の案内でヨーロッパに行くはずでしたが、ついぞ叶いませんでした。

あれも見せてあげられなかった、これも食べてみてほしかった、最後に過ごしたあの日なんでもっと優しくできなかったのかと、悔いばかり残りました。

でも思うんですけど、たとえ仮に本人がどんなに長生きしても(私の祖母はわずか69才)、仮に私が完璧な孝行孫娘(実際はバイトと旅行に明け暮れていた心配な孫娘でしたが)だったとしても、
ぜったい必ず、見送る側の人間は何かしら悔いが残るのはみな同じなような気がします。

人生という修行を人よりも早く修了して、今は先になくなった祖父や、戦争でなくした幼い妹、悲しいことに若くして自殺してしまった友人や、長時間苦しんだ末に死産だった女の赤ちゃん(私が生まれた時、その子の再来に思えたと話していました)と、幸せに暮らしているのだろうなと思っています。

その後も私の人生は常時波瀾万丈でしたが(ポスト•須賀子)、なにかことあるごとに、見えない守りが助けてくれた面が多々ありました。いえ、べつに普段の私はオカルトや心霊趣味ではありませんけど。

もう祖母の旅立ちのあの寒い秋の日から18年たつのに、すごく落ち込んでもうダメだ!と思って帰宅すると、一人暮らしのマンションなのに、(昔から「いつもどこで買うんだろうか?」と思っていた)祖母のもの以外に嗅いだことも見たこともないあの独特なヘアスプレーの臭いがすることがあるんです。(空き巣じゃないですよ。)

ちなみにここに入居したのは祖母の死後10年近くたってからで、無輪、祖母は生前一度も来たことはないのに、です。

去年からは今までの人生で最悪アンラッキーの不遇続きで、他人の悪意による負債まで抱えてしまい袋小路に入ってしまった感じのワタシなう、ですが、きっと影で祖母が応援してるから頑張ろう、これからはいつも一緒と自分に言い聞かせています。

大切な方をなくされた悲しみから逃れる魔法は残念ながらありません。でもそれでいいんです。それだけ強く心に残ったという証ですから。

どうぞ気を落とされずにお体には気を付けてくださいね!

| Halvaの記事でコメントした者です | 2017/01/17 8:16 AM |
コメントありがとうございます!
そうですね、どんなことをしようとも何かしらの悔いは残るものですね。
毎日思い出しますが、心の中で対話をしながら、いつも側に感じながら生きていこうと思います。
ありがとうございました。
| 高橋功 | 2017/01/30 2:06 AM |







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