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20代の頃はとにかくチャンスを掴む為に、ありとあらゆるオーディションを受けていた。どこの会社の何のオーディションだったかは全く記憶にないが、ある一場面だけ強烈に覚えていることがある。とあるスタジオで、グループ面接があったのだが、参加者のひとりが自己PRの際にこんな発言をした。
「歌に対する想いは、誰にも負けません!」
10代後半〜20代前半の女性だったと思う。これといって印象的なPRの言葉ではないが、審査員の言葉は厳しかった。
「“誰にも負けません”って言ったけれど、他の人と比べてどのように違うの?ここにいる他の皆も同じように“誰にも負けない”って思ってると思うよ。あなたの、その歌に対する想いというのは、他の人とはどう違うの?」
彼女は困った表情を浮かべ、その質問には答えられず、黙り込んでしまった。審査員のその言葉は全く以て当然であるが、その質問に答えられたら大したものだ。音楽をやっている人は、皆「自分が一番」だと思っているし、そう思わないとステージでパフォーマンスなんて出来ない。

彼女はそこまで深く考えて言ったことではないことは明白だ。単純に「歌が大好き」というアピールをしたかっただけだろう。だけど、とても強く想っていることを言葉にするのは、本来は難しい。「好き」という表現では追いつかない。かつて山口百恵が引退コンサートのクライマックスで、「今“ありがとう”という言葉をどれだけ重ねても、私の気持ちには追い付かないと思います」と表現していたが、これは正に言い得て妙だ。逆に「この想いは誰にも負けない」という表現は、“誰にも負けないくらいの強い想い”つまり“強い情熱だ”という意味で使われるのだろうが、字面だけを追えば、傲慢にも取れて、件の審査員が突っかかったように、僕も嫌いな表現だ。もちろん、時と場合によって、そうでないこともあるのは承知。

同じように使われる表現に「人一倍」というのがある。例えば「○○に対する情熱は人一倍あります」「やる気は人一倍あります」など。時として、失礼で無知な言い方に取られてしまう可能性も充分に孕んでいる。例えば何かスポーツのグループやサークルに属している人が「競技に対する想いは誰にも負けません!やる気は人一倍あります!」と発言するのを聞いたら、僕はいい気がしない。“想い”も“やる気”も、きっと他の皆も同じように強く持っているし、まるで他の人には“情熱”も“やる気”もなく、その人ひとりだけがやる気を持って頑張っているかのように聞こえてしまうから。

でも実際はよく使われる言葉だろうと思う。そしてそこまで深く考えて発言もしていないと思うが、大概において、「そうか?」と思ってしまう。「いや、あなたよりあの人の方がよっぽど頑張ってると思うけど・・・」と、ついコメントしてあげたくなる。時にムッとすることもある。僕が「○○が好き」と言ったことに対し、その人も同じようにそれが好きだと言った後「あなたに負けないくらい、私はそれが好きですよ!」と言われると、その“負けないくらい”というのは何をもってして言っているのか、はたまた、別に競うことでもないけど・・・と思ってしまうのだ。

さて、僕は今苦戦している。4年間ライヴをサボっていた代償は大きかった。スタジオで練習していると、喉の調子が良くて「この声がまた出るようになったからもう問題ナシ!」とウキウキルンルンになったかと思えば、別の日には全く以て声が出ず「このままだと秋のライヴは厳しいかも・・・」と暗い気持ちになる。良い日と悪い日のムラが激しい。こんなムラは、僕が10年以上前にライヴ活動を始めた最初の頃以来だ。寝不足だと筋肉が緊張している為、声も出づらい。疲れている時も良くない。ああ、あの頃は寝不足だろうが疲れていようが、声は出たのに・・・。今は体調によって声が左右される。良い歌声を維持するには、規則正しい生活が不可欠なのだそうだ。このブランクがいけないのか、それとも、年齢的なものなのか、はたまた両方なのか。アップテンポの歌なんぞ、息が続かない有様である。20代の頃は軽々と歌っていたのに。うん、人一倍、誰にも負けないくらい練習しなくては!!
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