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2016年に亡くなったピアニスト・中村紘子さんの最後のエッセイ集『ピアニストだって冒険する』を読んでいたら、長い間深い土の中で眠っていたクラシック音楽熱が呼び起こされてコンサートに行きたくたまらなくなり、ヨーロッパ旅の記述を読めば元々あるフランス熱が更に高められて5月の旅行に早く行きたくてたまらなくなり、あまりにも中村さんという人が面白くて過去の著書も全部読みたくて、今すぐ全部読みたくてたまらなくなり、一言で言えば身悶えさせられている。

僕が12〜3歳頃、地元にコンサートに来られて、両親と一度聴きに行けたことは、今になって思うと非常にラッキーだったと思う。超が付く満員で、客席が足りず、ステージの上にまで客席がいた程の人気ぶりで熱気も凄かった。ピアニストは、ステージに登場してピアノの前に座り、しばーらく精神統一の時間を持つので、聴衆は静寂の中で今か今かと始まりの音を待ちわびる。永遠にピアノを弾き始めないのではないかと思う位、時間がかかるピアニストもいる。それなのに中村紘子というピアニストは、椅子に座り切らないうちからピアノを弾き始める、という形容が大袈裟とは思えない程、パッと演奏を始めるのが印象的だった。

5歳からピアノを習い始めた僕と中村さんには共通点がある。なーんて書くことすら憚られるほど、世界的な大ピアニストに対して、とてもとてもそんなことは言うのは恐れ多いけれど、「ピアノ」という共通項があるのは事実なのであるが、本を読んでいたら、思わず声を上げそうになった位(僕は電車の中でしか本を読まない)、共通項どころか、共感するというか、「同じだー!」と思う箇所があった。

それは、1965年のショパン・コンクール入賞後にヨーロッパでコンサートをするうちに、当時留学中だったニューヨークよりも、ヨーロッパの方がはるかにご自身の感性にしっくりとくることを知ってびっくりした、という話。というのも、ニューヨークにどこか馴染めないと思いながらも、中村さんは自分がとても「アメリカナイズ」されていると勝手に思い込んでいたというのだ。更には、アメリカには2人の「生涯の友」がいて、ファックスやメールで毎日のように近況報告をし続けているというのに、「アメリカ人はどうも苦手」という。

かくいう僕も、十代の頃は超が付くほどアメリカに憧れて、アメリカなしでは生きていけないという位かの地に恋焦がれている自分を「アメリカナイズされている」と思い込み、自ら望んで高校時代の1年間をアメリカで過ごしたけれど、実際に住んでみると、どんどん興味関心は薄れ、肌には合わない国と思うようになっていった。その後、大学でフランス語を専攻して、これまた1年間フランスに留学した時は、この国に身を置いているだけで幸せと感じ、文化や人々の感性も、自分にとてもしっくりくることに気が付いた。

かといってアメリカでの1年間がつまらなくて不幸だったかというと、そういうことはなく、学校生活における人間関係には恵まれて、特に後半はだいぶエンジョイしていた。今でも当時を思い出すと、楽しかったことばかりが思い出されて胸が熱くなる。当時に戻りたいとさえ思う。実のところ、フランスよりもアメリカの方が今でも連絡を取っている友人がいて、フランス人よりもアメリカ人の方が友人は多い。にもかかわらず、これまた中村紘子さん同様、アメリカ人はどうも苦手、という意識がある。

つまるところ、1+1は必ずしも2ではない、ということですね。十代の頃はとにかく飢えていた。食に、ではない。文化的なものに。田舎にはなかなかコンサートに来る歌手や演奏家がいなかったので、知らないピアニストであろうが誰であろうがコンサートに来るとなれば飛びついて、その度に感激しまくって、しばらくはその余韻の中にいた(ドイツのヴェルニゲローデ合唱団が来た時などは、その合唱の美しさに大感激して、毎日会場で購入したCDを聴き、ドイツに留学することを本気で考えて、留学斡旋団体に問い合わせをした程だ)。その後、都会暮らしで、いつでも望むコンサートに行ける環境に身を置くようになると、クラシックには一切見向きもせず、ポピューラ音楽三昧になった。でも僕の作る音楽には、クラシックの影響も少なからずある。中村さんの本を読んだ後、我慢できず、クラシック・ピアノのコンサートのチケットを一気に2公演分購入した。クラシックに再び心が傾いている今、今後の自分の音楽活動にどう影響を及ぼすのか、楽しみなのである。
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