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大騒ぎの10連休もあっという間に終わってしまった。1週間程帰省し、またせわしない東京の日常に戻った。そしてバタバタとせわしなく日々を過ごし、僕は来週再び大型連休へと突入しフランスへと赴くのである。帰省と渡仏には共通点があり、僕の胸を締め付ける。

帰省中は東京での日常が嘘のようにのんびりとした時間が流れ、逆に焦ることもある。相変わらず、自宅での筋トレもやったが、これまた相変わらず、ため息付きである。やっぱり筋トレはキライだ。大きなため息を吐かないと始められない。歌の練習もしつつ、家族や旧友との時間に浸かった後の帰京は毎度のことながら晴れ晴れとしない。生まれ育った町を去る時間が近づくにつれ、里心のようなものがついて、後ろ髪を引かれるような思いで飛行機に乗るのである。そして、しばらくその余韻から離れられないまま、東京の人ごみに紛れるのだ。生まれ育った町に残る人、去る人、自分は自分で後者を選び、今や東京での暮らしの方が長くなった。

フランスで過ごす休暇は、もう今やなくてはならないものになった。心が洗われる。良くも悪くも留学していた20歳の頃に戻ってしまう。あの頃よりも断然フランス語力は落ちてしまったけれど、フランスもフランス語も僕を満たしてくれる。それゆえに、帰国するその日は悶々とする。なぜこんなに多くの人がフランスにいるのに、自分はここに留まれないのだろうと真剣に考えてしまう。だからといって、フランスに留まるすべを考えたりはしない。自分がいるべき場所は東京なのだ。

故郷もフランスも、僕はいいとこ取りをしているのだ。だからこそ、去る時、そして去った後のしばらくが切ないのだ。かの地へ赴く前から、最終日を思うだけで憂鬱になる。

話は変わるが、4月は3週間ずっと軽い頭痛に悩まされていた。日常生活を脅かすほどではなく、ほんのりとした痛みで、黙っていれば忘れるほどの軽さだったが、運動をすると痛みは増した。肩こりやストレスから来るもだろうと思いつつも、こんなに長く続くのは初めてで、もしかしたらこれが一生続くのではないかと思ったり、はたまた実は大きな病気の予兆ではないかとも思い、念の為、職場近くの頭痛外来を受診した。

30代半ば位の細身の男性医師は、僕の話を聞きながらパソコンを打つ手を止めなかった。僕が発する言葉を必死に文字化し、一通りの話が終わると、「うーん」と唸った後、この軽い状態が2週間も続いているのであれば大きな病気ではないだろうと、ニコリともせず放った後、スタッフに向かって「○○さん、MRIを」と告げ、用紙を持って来させた。医師は相変わらず僕の目も見ないまま、MRIを受けたほうがいいと言い、用紙に何かを記入し始めた。僕は焦った。まさかMRIを受けるハメになるとは思ってもいなかったのだ。しかもその医院ではなく、別のところに受けに行くことになるという。僕は何とかして避けようとしたのだが、すると医師は初めて僕の方を向いて、少し怒り口調で言った。
「じゃあ、何のためにここに来たんですか?頭痛が治らないから、何か自分でもおかしいと思ったから来たんでしょう?あなたのように、大きな病気もしたことない、普段も病院にかからない、至って健康体の人が何か不調を訴えて来た場合というのは、とりあえず大きな病気が隠れているのではないかと疑うのが我々の常識です。検査を受けて、何か見つかれば治療をする。何もなければそれで安心。MRIを受けることを強くオススメします」
まぁ、言っていることはごもっとも。でも、僕はなんとなく予感していた。「MRIの結果は異常なし、恐らく肩こりとストレスが原因でしょう」と言われることを。何の為にここに来たのか?それは、こんな軽い頭痛が続いていることの原因が知りたかったから。頭痛外来を謳っているのであれば、沢山の症例から、何か情報を得られると思ったから。
「症状の軽さ重さは関係ありません」
医師は言う。僕は仕方なくMRIを受けようという気持ちに傾いていたが、この医師には金輪際診察してもらいたくなかった。患者の目も見ず、意思も尊重せず、話を聞こうという姿勢も見られない冷たい人間に、自分の命を預けようとは到底思えない。

MRIを受けて、何か病気が発覚したらフランス行きもキャンセルだな、などと思いながらも、結局、その日はMRIを受けるにしても夜7時位からしか予約が空いてないことが判明し、これ幸いにと「用事があるからムリ」と突っぱね、コリをほぐす薬を処方してもらうにとどまった。医師は最後に「もし様子を見て、それでも頭痛が治らないのであれば、ウチじゃなくてもいいので、MRIを受けてください」と言った。

それから数日後、連休が始まると同時に頭痛はピタッ!と治まった。

連休が終わり、東京に戻ったらまた頭痛が始まるような気配がしたが、今のところ頭痛はない。東京は忙しい。同じ都会でもパリはのんびりしている(ように感じる)。東京のせわしなさが好きだった20代の頃に比べると、僕も人並みにストレスから解放されて、のんびりとした時間を求めるようになったんだなぁ・・・と感じる今日この頃である。
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数あるコンプレックスのひとつは、体が細いこと。「太りたい!!」と言うと、痩せたい人からは溜め息と共に「なんて贅沢な・・・」という言葉が漏れるが、こちらもこちらで溜め息なのである。沢山食べても細いまま。なのに腹だけは立派に膨れる。

運動大嫌い、スポーツ大の苦手の僕がジム通いを再開して4年が経った。12年前に1年程通って挫折した経験を踏まえ、今回は自主トレの他にもパーソナル・トレーナーを付けて、飽きないようにしていた。最初の頃こそ張り切ってかなりの時間をトレーニングに割いていたが、長く続ける為に(嫌気が差さないように)、キツすぎるトレーニングにならないようなメニューでやっていたから、本当に理想とする体型にはなかなかならなかった。元来、筋肉が付きやすい体質ではないのだ。だから案の定、飽きがやって来て、週1回しかジムに通わなくなった。去年の5月、そんな自分に嫌気が差した。筋肉質になりたい、体を大きくしたい、体重を増やしたい、でもキツいトレーニングはやりたくない。これは矛盾している。もし今トレーニングを止めたら、結局この先一生、望む体型は手に入れられないと思い、キツいメニューをやってみることにした。

筋トレの効果が出始める3か月後の8月、ふと気づいたら、これまで自分の体ではお目にかかれなかった筋肉がお目見えし、やる気が増した。元来骨太ではないので、体型は細いままなのだが、腕や胸は太くなってきたのだ。そして思わぬ副産物と出合う。トレーニングしないことに恐怖を感じるようになったのである!トレーニングしないと筋肉量が落ちてしまう、という強迫観念に近いもの。つまりトレーニング中毒。まぁ僕の場合は、中毒一歩手前、といったところだと思うのだけれど、ジム通いを3日空けるのはイヤで、4日空いたら焦るようになってしまった。まずもって4日空くことはあり得ない。旅行中は部屋の中で腕立て、腹筋、スクワットを少なくとも3日に1回は欠かさないようにする(理想は2日に1回)。

しかーし、問題なのはトレーニングが大嫌いであるということ。やっぱりキツイのである。そもそも運動が大の苦手。始めのストレッチからしてやりたくないし、スクワットなんて超が100個付く位キライ。重いダンベルやバーベルを以前より楽に持ち上げられるようになっても、それは恐怖の始まり。なんでかって言うと、楽に持ち上げられるようになったら、それは負荷がかからないことを意味するから、更に重くしないといけないからだ。永久に終わらない旅。

ジムに行っても苦しいばかりでなーーーーんにも楽しくない。強いて楽しいことといえば・・・・・・やっぱり何にもない。それなのにトレーニング中毒一歩手前で、止めずに続けているのは、筋肉のない細い体というコンプレックスを解消する為。どうしても筋肉を付けたいのである。筋トレを止めればどんどん筋肉量は落ちていく。ということは体型をキープし続けるには、トレーニングもずーっと続けなければならないのである。果てしない物語である。トレーニング中は「もうジムを退会したい!」と思う程苦しいのに、翌日になればケロっとしていて、またその翌日にはジムにいるのだ。かつては毎週やっていたパーソナル・トレーニングを今は月2回に減らし、自主トレを中心にやっているので、ひとり孤独な闘いである。

実際のところ、体力作り、ひいては健康の為にも良いことをやっているわけで、しかも健康でないと今のようなトレーニングは出来ない。体の為にトレーニングをやっているけれど、トレーニングをやる為にも健康でいなければならない。ちょっと体を痛めたりすると、文句を言いながらも普通にトレーニング出来ることが実はありがたく幸せなことであることに気付いたりする。かの森光子さんなんて毎日スクワットをやっていたし、90歳を過ぎた橋田寿賀子さんだって毎日ジムに行っている。うん、やっぱり頑張らねば!

でも苦しいのはイヤなのだぁ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!
と、そんなことをグルグル繰り返しながら、今日もジムに行く僕なのであった。なんといっても、日々の生活の中で、筋トレ直後の胸筋がパンプアップ(一時的に筋肉がグッと膨らむ)している時が一番幸せなのである。

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夜の眠りにつく瞬間を、僕は毎日心待ちにしている。ピアニスト・小山実稚恵のシーデーを聴きながら眠るのが至福なのだ。あれ以来、僕は小山実稚恵のシーデーを図書館からせっせこ借りまくり(合計13枚にも及ぶ)、そのピアノの音色を聴いているだけで幸せな気分になる。夜のお供は何といっても「夜想曲集」。

寝る時に音楽をかけるのは最近始めたことではなく、去年ふとしたきっかけから瞑想アプリを使うようになった。「無」の状態になる瞑想状態になりたくて、スマホに瞑想アプリを落とし、スイッチを押すと、瞑想に入る為のガイダンスが流れてくる。その指示通りに行うと、とても心地の良い瞑想が出来る・・・・・・・・・はずなのだが、何といっても僕はベッドに入ってから眠りにつくまでモノの10秒とかからないのだ。そのガイダンスが始まり、1分も経たないうちに、僕は瞑想どころか、深〜〜〜い眠りの世界へと入ってしまうのである。だから最後までガイダンスを聴いたことがなく、結局それは止めてしまった。

ところが去年パリのハマム(トルコ式サウナ)に行った際、ひとしきりスチームサウナにマッサージにと堪能した後、ゴロ寝するスペースで横になっていたら、いかにもなアラブの怪しげな音楽と薄暗い照明が妙に心地良く、うつらうつらしているうちに不思議な経験をしたのだ。半分は起きているのだが、半分は寝ているような状態。眠っているように思えるのだが、でも確実に意識はある。そしてまるで過去へのタイムトラベルを始めたかのように、子供の頃の懐かしい記憶が甦り、と同時に、その風景が目の前に、しかも鮮明に現れたのだ。まるで映画を観ているように。それは小学校時代の夏休みだった。自宅から車で3分のところにある祖父母宅の近く。タイムマシーンに乗って過去の自分に会いに来たかのようでもあるし、当時を俯瞰で観ているような気にもなった。恐らく、僕がとても「幸せ」と思える時期なのだろう。とにかく心地良かった。

東京で月一回通っているアーユルヴェーダ(インド発祥のマッサージ)の施術師にこの話をしたら、それはある種の瞑想状態なのだと言う。状況が揃えば、またあの不思議で心地良い感覚を経験出来るかもしれないと、また例の瞑想アプリを落とした。ただ前回とは違い、今度はガイダンスのない、ただ音楽が流れるだけのアプリ。パリで経験したような、あんなにも鮮明な映像が流れて来ることはなくても、それなりに心地良い。ストレスの多い現代社会で生きる中、こういう「無」になる時間は必要だと思う。

小山実稚恵のピアノに再会してからは、こんなに素晴らしい音色をバックに眠れるのは最高の至福なのではないかと、再び瞑想アプリを止め、小山実稚恵のシーデーをかけてベッドに入ることにしたのである。夜想曲を聴きながら目を閉じると、日々の雑念やストレスから解放されて、幸せな夢を見ることが出来る・・・

のだが、やはり問題は、1分もしないうちに寝てしまうことなのであった。

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今年の秋で今のマンションに入居して丸12年になる。2年毎に物件探ししては納得のいく物件に巡り合わず更新を続けているわけだが、今年は早くも半年前からネットで物件検索を開始。すると、世にも魅惑的な物件を見つけた。

1LDK。従来の予算よりも2万円下。今住んでいるところの2駅先(都心寄り)。駅から徒歩2分。築15年のデザイナーズマンション。

早速内見を申し込む。今迄は築10年以内に限定していたけれど、今のマンションより2〜3年古いだけなので、それなりにまだ綺麗なはず(と思い込む)。この立地、広さでこの家賃は掘り出し物と思い、いても立ってもいられなくなった。外観も美しい。毎日帰るのが楽しみになるのではないだろうか。苦節10年、この物件に出合う為にこれだけの年月を費やしたのかも知れない。・・・と、見る前から期待してはいけない。いつだってそうじゃないか。間取り図や写真を見て「イケる!」と思っても、実際に見に行くとガッカリというパターンを何度繰り返してきたか。でもでも、今回は違うだろう。これで決まりかも知れない。そんな予感がビンビン。でもこんなに早く見つかるとは思わなかった。来月には引っ越しとなるだろうか。急だなぁ。引っ越し面倒だなぁ。と思っていたところに、ハタと重要なことに気付く。今は何月?来月は何月?そう、今がちょうど引っ越しのハイシーズン時期。ということは?引っ越し代が高くつく。えーーーっ、引っ越し業者も強気になっていることだろう。時期が悪いなぁ。内見してガッカリ、というパターンの方がいいのかも。だって今引っ越したくないもんね。でもでも!せっかく見つけたスゴイ物件。あえて超絶な期待をしておこう。

自転車で現地に向かう。通い慣れた道だ。何を隠そう、その町はかつてあの世にも可愛いコーギー犬・リクが住んでいたのだ。今はもう千葉に引っ越ししてしまった友がリクと住んでいた家とは反対側にある、運命のデザイナーズマンションは駅から徒歩2分ながら大通りから離れているので、静かな住宅街にあった。写真で見た通りの洒落た外観が目に飛び込んできた。何から何まで洒落ている。が、しかし、築15年を感じさせる。エントランスには想像したほどのトキメキはなかった。肝心の部屋に一歩入った時の感想は「やっぱり15年か」。ところどころ汚れている。洒落ているか、というと、そんなでもない。打ちっぱなしのコンクリートの壁と、白い壁。デザイナーズにありがちな、それゆえにダサく古く汚く見えてしまうところに目がいく。毎日この部屋に帰って来るのが楽しみになるか、というと、そうでもない。1階の角部屋で広い庭もあるが、「だから何ですか?」という感じ。日当たりが凄くいいわけでもない。確かに相場よりも安いだけはある。ガッカリ。しかも、敷金はゼロだが、礼金1ヶ月の他に、退去時に1円も戻らない保証金なるものまで1ヶ月分かかる。この物件の魅力はただ一つ。立地の良さ。

というわけで、苦節10年の夢はあっけなく散った。毎回恒例、今のマンションの方が何十倍も綺麗であることに気付かされる。うなだれて帰宅し、改めて検索をかけると、自宅から程近いマンションを見つけた。

1LDK。予算よりも1万円強高い。駅から徒歩4分。築4年。

間取りと写真に目を奪われた。,茲蠅5平米広い。本当は今住んでいる町を出たいのだが、この物件に住めるなら、しかも予算を1万円以上オーバーするけど、それでもいいかも知れない。一棟賃貸だが、分譲賃貸かと思うような贅沢な造りに見える。予算オーバーするということは、生活費の何かを削らなくてはならない。そこが悩みどころだ。しかも今と同じ町。とはいえ、である。こんなに魅力的な物件が他にあろうか?内見をしたら即決めてしまうのではないだろうか、という不安がよぎる。もしそこに住むことになるなら、お金もかかるから今年秋のフランス旅行は来年に延期にした方が良いかもしれないと思い、既に発券済みの無料航空券の日程変更条件を思わず調べてしまった。

翌日内見に行く。1LDKの部屋は今まだ借主が退去前ということでその部屋は見られず、2LDKの部屋を見ることになる。10平米も違うが、雰囲気だけは分かるだろう。ドアを開けると、南向きだけあって、白い壁と薄いベージュの床が明るく輝いて見えた。が、輝いていたのはそれだけ。部屋に入って最初に感じたのは「安っぽい」。どれひとつ取ってもチープな感じ。築4年なのでまだ新しいが、クリーニング前の風呂場は「えっ!」と思う程汚れていた。これからどこまで綺麗になるのか知らないが、使う人によってこれだけ汚くなるとは。たった4年なのに。11年半も住んでいる我が風呂場のほうが断然綺麗だ。まぁ、でもその部屋に住むわけではないからそれはいい。とにかく気になるのは、キッチンにしろ窓にしろカーテンレールにしろ、素材の安っぽさだ。今の僕の部屋の方が断然質がいい。そして、大通りに面しているだけあって車の音がひっきりなしにうるさい。二重窓にするとか、そういう対策も取られていないから24時間うるさいだろう。

やはり苦節10年は続くようだ。どの物件を見ても今のこのマンションと比べてしまう。もう一生この狭い部屋から離れられないのではないか?と思ってしまう。

というわけで、まだまだ物件探しは続くのである。

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11年半前、今のマンションに引っ越してくる時、かなり物を処分した。収納もそんなに大きくないから物を増やさないようにしようと心がけ、なるべく物は買わず、本は図書館から借りるなどしてきた。まぁ一応、いつ何時、誰が訪問してきても慌てふためかないよう(学生時代と違って突撃訪問も滅多にないが)、部屋は整理整頓されている。見た目は。目に届くところは。だがしかし、11年も経てばそれなりに物は増えている。収納を開けると既にパンパンで、決して美しく整理整頓されているとは言えない。手前のものをごっそり引き出さないと奥にあるものを取り出せない、なんてのもザラだし、自慢げに収納上手を語ることなど出来ない。狭い部屋で小さな収納と暮らすにはそれなりの工夫が必要。なのだが、時にイラッときて引っ越したくなるのだ。

2年に一度の更新の度に「今度こそ引っ越そう」と物件を探すのだが、今よりも高い家賃を設定しても、今の部屋よりいいところが見つからない。で、結局、不本意ながら更新することになる。もう今年で12年目。ああ。結局今年も更新になるのかなぁ・・・なんて言うと「それだけ住み続けているということは今の部屋には不満がないってことでは?」と言われる。そうなのかも知れない・・・でも、もっと都心に近くてもっと広い部屋に・・・と心は揺れるのである。

引っ越しも面倒だしなぁ、と思いつつ、目をそむけてきた収納の整理に取り掛かってみると、出るわ出るわのゴミの山。ゴミ袋5袋分は軽くあった。すると驚くことに、今や収納スペースに空きが出たのである。たっぷり捨てたんだから当たり前の話だが。スッキリ気分と同時にドッと疲れた。これで半日は丸つぶれ。ついでに風呂場もせっせこ綺麗にする。そういえば歯磨き粉で磨くと綺麗になると母が言っていたことを思い出し、今迄目を背けていた汚れをせこせこ磨いたらつるぴかに。

掃除と整理に時間を費やしていると、思いもよらぬ物との再会を果たすことがある。かつて必死に探していたのに見つからなかったものや、「なんでこんなもの大事に取っておいたんだろう?」と思うようなもの。今回僕の目に飛び込んできたのは、犬の服だった。

かつて近所に住んでいた友人の犬・リクをよく預かっていた時に着せていたもの。コーギー犬のリクは尋常じゃない位の毛が抜けるので、何か対策はないものか調べたら「服を着せると幾分マシになる」とあったので、ペットショップに買いに行ったのだ。それまで僕は服を着ている犬になんの魅力も感じず、逆に白い目で見ていた位だ。でもその服で毛抜けが少しでもマシになるなら・・・と服を買いに出かけたところ、心が浮き立つ自分がいた。どれもこれもリクに似合いそうなのである。リクは12kgもあったので小型犬とは言えず、選択肢があまりないのが残念だったが、迷いに迷って1着選んだ。そして着せてみたら、なんと似合うこと!可愛くて可愛くて気絶しそうだった。しかもさすがに小型犬用の服は小さくてパッツンパッツン。これがまた可愛くて悶絶。当の飼い主は呆れていたが、僕は翌日もペットショップに走った。まぁ、なかなかサイズが合わないこともあり、結局その2着で打ち止めになったのであるが。

家に来る度に服を着せて僕ひとりが喜んでいたわけだが、そうこうしているうちに来なくなった。面倒を頼まれた時は、家で預かるのではなく、友人宅に行ってエサをあげるなり散歩するようになったから(その方が掃除やら何やらの手間が省けた)。自然と犬用の服は出番がなくなり、収納の奥の方にしまわれ、一切のお呼びがかからなくなった。そしてリクは昨年亡くなってしまった。今回何年かぶりにその服を手にし、これを思い出として残しておこうか、と思った。匂いを嗅いでみたが、リクの匂いはしなかった。次の瞬間、迷わずゴミ袋の中に入れた。その服を見るだけで悲しい気持ちになりそうだし、他の犬に着せるというのも何だか違う気がしたからだ。リクのことは毎日思い出すし、携帯を見れば必ずリクがいるので、きっとリクも怒りはしないだろう!

捨てられない症候群の僕が一旦スイッチが入ると、あれもこれも捨ててしまうのだが、その「捨てスイッチ」の勢いにのって、必要なものまで捨ててしまったのではないかと気になってしまうのは毎度のことである。

 

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前回のブログに書いた通り、クラシック・ピアノのコンサートに行きたくてたまらなくなった僕が、ふと思い浮かんだピアニストは小山実稚恵さんだった。ショパン・コンクールとチャイコフスキー国際コンクールの両方に入賞した唯一の日本人ピアニスト。僕が十代の頃、鶴岡にコンサートに来た時に初めて演奏を聴いたのだが、それまでに感じたことのない感動を覚えたことをハッキリと覚えている。何か凄い迫力だった。音が強いとか大きいとか、そういう単純なことではなく、音に込められた想いというか、客席に届くエネルギーが、明らかに他のピアニストとは違っていたのだ。興奮して帰宅したのを覚えている。一流演奏家の生演奏を聴くチャンスの少ない田舎で育った僕は、とにかく、コンサート、ミュージカル、演劇と、何かに触れる度に惚れてのぼせて帰るのが常だったが、小山さんの時は、さすがショパン・コンクール入賞者だけあってタダモノではない・・・と子供ながらに感じていた。

あれから25年以上が過ぎた。渋谷のオーチャードホールに行く度に「小山実稚恵ピアノ・リサイタル」のポスターを目にした。2006年から2017年まで毎年2回ずつの「12年間・24回リサイタル・シリーズ」を行っていたのだ。ちょっと興味をそそられつつ、いつか行こうと思いながら今日まできてしまった。再びクラシックに目覚めた僕が行きたいコンサートはもちろん小山実稚恵であり、検索したところ、2月に杉並公会堂でバイオリンとチェロとの三重奏、6月にオーチャードホールでピアノ・リサイタルがあることが分かった。今の僕の頭はピアノで一杯なので、他の楽器とのアンサンブルやオーケストラには食指が動かない。ならば6月のリサイタルで決まりなのだが、1月下旬の時点で「5ヶ月も待てない」と思い、思い切って両方のチケットを購入したのであった。

しかも杉並公会堂は自宅から自転車でも行ける距離。自転車でコンサートに行けるなんて気楽でイイ!僕が行っている美容院もその近くにあるので、コンサートの前に予約を入れた。自宅→美容院→コンサート→自宅、すべての移動を自転車で!と、思っていたところに「2月9日、東京23区も大雪の恐れ」のニュース。なんじゃー!!!この日に限って!!!仕方ないからバスか電車で行くしかないなぁ、と自転車は諦めていたのだが、結局雪降らず。やっぱりね〜〜〜。台風直撃だとか大雪だとか、最近の天気予報は煽るだけ煽って結局大したことなく終わる東京の天気。今回も降る降る詐欺であった。というわけで、もっこりと着込んで自転車を走らせたのであった。

ここ最近忙しくてちょっと疲れていたので、この日のコンサートを殊更楽しみにしていた。映画やコンサート、演劇では居眠り常習犯の僕、毎度胸が張り裂けるほどの後悔をすることになるのだが、今回は居眠りさえも贅沢な時間として許容しようと思っていた。贅沢ではないか、一流演奏家の音楽をバックにうつらうつらなんて!チケットを買うのが遅かったこともあり、席は2階席だった。そんなに大きなホールでもないので見やすいだろうとは思っていたけれど、来週行く「中島みゆき夜会」で最悪な席(僕が大嫌いなな2階席)を掴まされて、怒りにまかせて先日購入した双眼鏡を今回初めて持参した。席に着くと、プゥ〜〜〜ンと香水の香りが。隣のおじさんから。まったく、香水は控えてくださいよ。あんべわりぐなるぅ〜(庄内弁で「具合が悪くなる」の意)と心の中で悪態をつきながら、まぁでも、キツイ加齢臭とか体臭よりは断然いいか、と思い直す。と、ふと、「いや、この香りは隣のおじさんではなく、後ろのおばさまだろうか?」とも思えてきた。実際はどっちかは分からず仕舞い。

さて肝心のコンサートであるが、予想以上に良かった。今回はベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」とメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番で、まぁ正直言って僕が好きな曲調ではないことは最初から分かっていたのだが(激しいのが好きなのだ)、メンデルスゾーンの曲がとても美しいメロディーで甘美だった。思えばベートーヴェンもメンデルスゾーンも十代の頃発表会で弾いた(「悲愴」「プレストアジタート(無言歌集より)」)。また弾きたくなった。今度帰省したら楽譜引っ張り出して練習しよう!などと考えつつ、もしかしたら途中うつらうつらしたのかも知れないけれど(よく覚えてない)、やっぱり美しい音楽を一流演奏者の生演奏で聴くというのは、至極贅沢で心が洗われる優雅な時間であると改めて感じた。今度パリではオペラを聴きに行くし、6月の小山実稚恵ピアノ・リサイタルも今から楽しみ!!

終演後、サイン会があった。CDを買っていなくてもOKという太っ腹で、僕も列に並びプログラムにサインをしてもらった。小山さんには25年前に山形で初めて演奏を聴いて感動して、今日はその時以来であることを伝えた。他の2人(バイオリニストとチェリスト)にもサインを頂いたが、おべっかを使えない僕は何も言わなかった(サインに対してお礼は述べたけど)。分かりやすい僕。



【第一部】
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」変ロ長調 作品97
【第二部】
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49
【アンコール】
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」より第2楽章

ピアノ:小山実稚恵
ヴァイオリン:矢部達哉
チェロ:宮田大
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