スマホ版





◆関連リンク
◆更新履歴
◆最近のコメント
伝達手段である「言葉」は、共感も呼ぶけれど誤解も生む。いずれにしても、10人中10人に、自分の言葉(思い)が100%正確に伝わることはない。逆に、相手の言葉も、相手が意図した通りに自分が受け取れるとは限らない。そう考えると、言葉は、受け取り手の受け止め方がすべてのように思えてしまう。例えば、何気ない冗談を発した相手がいくら「これは冗談で、悪意があって言ったのではない」と力説しても、自分が「どう考えても冗談には受け取れない」と思ったら、もはやそれは「冗談」ではなくなるのだ。

経験もしかり。“百聞は一見に如かず”とは真理であり、いくら知識として知っていても、経験に勝るものはない。自分が経験したことのない他人の苦悩を、想像は出来ても、実感として理解することは不可能だ。だから、「こんな大変なことがあって…」と他人に話したところで、その思いが相手に理解されるとは限らないし、共感も語弊も生む「言葉」を使うのだから正確に伝わるとも限らない。

なーんていう話をしていたら、高校時代の1年間のアメリカ留学が頭の中を駆け巡った。これまでの経験の中で最も強烈だった。これぞ正に言葉の問題から人間関係まで、様々な困難に満ちていたけれど、今となれば、宝石のように輝いている1年だ。楽しいことは沢山あったけど、その何倍もの苦悩があった。世間知らずな16、7歳ゆえの葛藤もある。ただ、「1年間のアメリカ留学」という経歴から受ける誤解や語弊は良くも悪くも少なからずあるもので、一方的で一般的な“高校生の留学”の穿った華々しいイメージを取り払いたい思いもあり、数年前、当時の経験を「アメリカ留学記」としてサイト上で発表した。これが結構面白がられたし、“アメリカだーいすき!”という趣の留学記とは違うところで発したいこともあり、誤解を招く覚悟もしつつ、当時の視点のまま正直な思いをどんどん書いていった。通り一遍の楽しい留学記なんて途轍もなくつまらないし、僕は単純に、16歳の自分が見て経験して感じたことを、そのまま伝えたかった。軽く口にしただけでは誤解しか招かれないような、複雑な思いが混じる苦悩や真実を知ってほしいと思って書いたのも理由のひとつだ。

Facebookのお陰で、当時出会ったホストファミリー、友人たち、先生たちとは簡単に近況を知らせ合えるようになったこともあり、日常的に20年前当時のことを思い出したり、夢に見たりもする。思い出すと胸がいっぱいになるくらい、幸せな思い出が詰まっていて、今すぐにでも皆に会いたくなるけれど、同時に、当時抱えていた複雑な心境も蘇る。最近になってまた留学記を読んでくれた人から感想を貰ったりしたこともあり、久しぶりにサッと読み返してみた。大きな出来事やトラブルなどに関しては、勿論自分自身の体験なので、じっくり読まなくても顛末が分かっているけれど、自分で書いておいて改めてハッとしたのは、中学時代は熱に浮かされたように憧れてやまなかったアメリカに対して、どんどん大きくなっていく嫌悪感の記述だ。

留学生活が進むにつれて、感動的な体験があったり、気のおけない友人たちや先生たちとの交流が深まり、今でもあの頃の「笑い」を鮮明に思い出せるくらい学校生活を謳歌していた反面、アメリカに対する嫌悪感は増していった。ゆえに複雑だ。この部分こそ、誤解せずに理解してくれる日本人はさほど多くはない(けれど、たまに共感してくれる人に巡り会う)。僕も今では、それほどの反米意識はないのだが、あまりにも強くなっていった反米意識は大学時代に専攻したフランス語や、フランス人、フランスからの見方が影響していると思っていた。が、この留学記を読み返すと、嫌悪感は大学に入ってからではなく、既にアメリカ時代にあったのだ。

以下、一部引用。

**********************************************
この国(アメリカ)がどんどん嫌いになっていくようで恐かった。これといった特色ある文化もなく、rude(無礼)な人々が多くいるように感じた。大好きだった英語も、日常コミュニケーションの手段となると、(表現豊かな日本語と比べると)どうも味も素っ気もなく、言葉というよりは「暗号」のように感じて、英語を話すこと自体、イヤになりそうだった。
**********************************************
親友のフィリップに誘われて、(学校で)毎週木曜日の朝に参加していた(キリスト関係の)FCAミーティングには、大して気分が乗らないまま、何となく行っていた。ある朝、ミーティングの後、メンバーのひとりから声をかけられた。
「キリスト教を信じてる?」
なんでそんな質問するんだろうかと思いつつ黙っていたら、
「嫌いでしょう?」
と迫ってきた。僕は質問に答えぬまま、「Why?(なんで?)」と訊き返した。彼は僕が「What?(何?)」と訊いたと聞き間違えたのか、「アメリカ文化が」と答えた。
「アメリカ文化をもっと知りたいなら、図書館に行け」

彼がどういう意図でそんなことを言ってきたのか検討がつかなかった。(中略) 僕は文化的交流を目的とした交換留学生であるにも関わらず、今自分が住んでいる国を否定的にしか捉えられなくなっていきそうなことに、自分で気付かない振りをしていた。アメリカ文化?アメリカに文化なんてあるのか?心の中で反発していた。
**********************************************
「アメリカは好き?」「この町は好き?」「日本より?」 この類の質問は一年中続いたが「日本よりも好きか?」と訊かれると心はかなり拒否反応を起こした。こんな野蛮な国・・・と心の奥底では思っていた。世界ナンバーワンの国アメリカが、すべての人にとってナンバーワンなんかじゃないんだと言ってやりたい思いがあった。
**********************************************
(とある店の対応の悪さに腹を立てていたホストマザーを見ながら)僕も相変わらず “This country sux(=sucks イヤな国だ)・・・”と心の中で(アメリカに対して)悪態をついていた。渡米前に観た『ミスター・ベースボール』というアメリカ映画には、アメリカの野球選手たちが日本にやってきて、その文化の違いに戸惑ったりする場面が多々あるのだが、主人公のアメリカ男が日本のことを「イヤな国だ」という意味で“sux”という俗語を用いていたのを、僕はそっくりそのまま心の中で返してやった。
**********************************************
日本に帰りたいと言えば帰りたいが、それでも帰りたくはなかった。もっともっと吸収しなければならないことがあるように思った。それなのに、帰国する夢をよく見る。帰国しないまでも、日本の友人や、同級生の夢もよく見た。ある日は、両親がアメリカまで迎えに来る夢を見た。
**********************************************
ケネディー先生に叱られた。僕の日頃のアメリカ批判、アメリカ人批判はこの帰国間際になって爆発した形となっていた。でも話の最後には和解した。そして先生は「誤解してたようだ」と言って僕に謝った。いい人たちに恵まれて幸せなはずだったが、その裏ではうんざりするようなことが山とあった。とはいえ、アメリカ人に向かって、いくら信頼し合っているといえども、そこまで批判することは筋違いだった。
**********************************************

前後のストーリーなく、ここだけを切り取ると過激だ。しかしこれは、嬉しいことや感動の陰にあった沢山の苦悩のひとつに過ぎず、絶えずこのことで悩んでいたわけではない。

ひとりの老婦人との出会いも印象的だった。

​**********************************************
うなだれていた僕は、パーティーも終盤に差し掛かった頃、ティーナのおばあちゃんと色んな話をした。ケベック出身のフランス系カナダ人であるその老婦人は、若い頃にアメリカに来た為、今ではもうフランス語は話せないと言う。折からの僕の表情を見て悟ったのか、僕の目を見つめ、やわらかな優しい声で、
異国の地で、あなたが今どんな思いでいるのか、よく分かるわよ
と、一言呟いた。

​**********************************************

この時のことをよく覚えている。僕は自分が抱えていた苦悩について話したわけではなかったけれど、悩んでいる人に対して、多くの慰めの言葉など必要ない。たった一言で心がほぐれる時がある。理解者がいてくれるだけで救われるのだ。

海外生活で辛酸を嘗めない人はいない。大変な状況の中でいかに楽しくするかは自分次第である。様々な波が押し寄せて来た1年ではあったけれど、総合的に見たら、幸せな1年だったと言える。一端だけを語れば重苦しいが、沢山の貴重な経験や楽しい人たちとの出逢いにより、僕のアメリカ留学は楽しく幕を閉じている。

​**********************************************
帰国まであと残り3ヶ月足らずになっていた。冬が終わり、春の風が吹いていた。(親友フィリップと買い物に出かけた)夜の帰り道のドライブで、助手席の窓を開けて夜の風を受けながら、感慨深い想いに耽っていた。この風の匂い・・・懐かしい匂いがした。3年前、留学を志した頃を思い起こさせた。念願叶ってアメリカに来ている。様々なことがあった。絶望的な気持ちでいた頃、長い時を過ごさなければならないと思っていたのに、もうあと3ヶ月しかない。そして今、やっと心から楽しいと感じられる自分がいた。(中略) アメリカで英語を習得したい。それも叶えられた。だけど、そんなことよりももっと多くの、もっと大きな、そして生きることの意味、大切さに気付き始めたことの方が、よっぽど僕にとって意義のある収穫ではないか、そう思えてきた春だった。そして、帰国は刻一刻と迫っていた。
​**********************************************
帰国前夜に家で開かれた僕のお別れパーティーが終わり、友人たちや先生たちとの別れの時が来ても、自分が明日には帰国するということを実感出来ないでいた。(中略) いつものように大笑いし、皆の笑いが絶えないパーティーだった。この時間が永遠に続くのではないかと錯覚するほどに、あと少しで皆とは別れなければいけない時間が来ることをまるで知りもしないかのように笑い続けていた。・・・しかし、残酷にもその刻はやってきた。深夜になり、皆がいつもの笑顔で去って行く。そう、また明日学校で会うかのように。いつものように、僕たちはまた明日学校で会い、冗談を言い合って大笑いするのだ。しんみりとした別れが僕には似合わないのは分かっていた。
「寂しくなるわ!コウ!」
バートン先生の声が聞こえた。何の意味も成さない、ただの音に聞こえた。なぜ、寂しくなるなんて言うのだろう?昨日も今日も明日も変わらないはずなのに、明日も会えるはずなのに・・・。皆が僕の視界から消えて行き、玄関先にひとり取り残された時、僕はようやく明日には帰国するのだという実感を持ち愕然とした。ひたすら「寂しい」と感じた。昨日と今日は同じでも、今日と明日は違うのだ。昨日も今日も僕はここの住人だったけれど、明日からはもうここにはいない。あの学校には二度と通わない。この愉快な先生たちの授業を受けることもない。フィリップに「家に居たくないから遊ぼうよ」とせがむこともない。ケネディー先生に「ヒマだからどこかに連れてってよ」とわがままを言うこともない。これまでの日常は全て消え去り、過去になるのだ。

どうしようもない気持ちを抱えて、僕は自分の部屋に入った。全てが終わった・・・。やっと終わったのだ。まだ残っていた荷造りをしながら、家を出る朝の4時まで僕は起きていた。もうこの先、二度と眠ることのないこの部屋で・・・。

​**********************************************

留学記を読み返して、様々な感慨に耽っていたら、当時の友人が懐かしい写真を送って来た。


コーラスのクラスメイトたちとニューヨークに行った時。


帰国間際、学校行事(Field Day)にて・・・らしい。実はこの写真に関しては一切記憶がない。
| マジメな話 | comments(0) |

今日からフランス語通訳コースの夏期講座開始(週1×計3回)。毎度冷や汗たっぷり、たまらないドキドキ感満載の授業で、前期の授業終了から丸1ヶ月ぶりだけど、夏期講座は「トライアル」という副題が付いていて、通常授業よりレベルダウンして、通訳の基礎的なことをやると先生が言っていたので、気楽な気持ちで教室に行ったら、いつもは受講者4〜5人なのに、今回はトライアルだからか15人程もいてビックリ!

トライアルとはいえども、冷や汗ダラダラのドキドキ感は変わらず、訳して「ぜーんぜーん違う!」「そんな言い方はない」「もういいわ、はい次の人」と、件もほろろにされてもへこたれないくらい、心臓に毛を生やさないと続かない…(実際続かない人が多いとか)。

今回の受講者はレベルがそんなに低くないということで、来週からは通常授業と同じようにニュースを題材にするらしい。なんてこった!!せっかく、超基礎的なことをやる授業を楽しみにしてたのにガッカリ。結局宿題もどっさり。「1週間あれば出来るでしょ。毎晩2時間ずつやれば」とサラッと言って今日の授業は終了。

それにしても、人前で通訳をすること自体緊張するのだ。今日は2人ペアになって自己紹介を仏日通訳したのだが、簡単な単語なのに聞き落としたり、誤訳したりと、自分も他の人たちも例外なくミスが結構あった。訳すたびに「やっぱり向いてないかも」と思う気持ちは、10年以上前からずっと変わらない。でも身震いするほど面白いとも思う。

| マジメな話 | comments(0) |

たまに仕事で翻訳をしなくてはならないのだが、英→日よりも日→英の翻訳の方がはるかにイライラしまくって、脳がくたびれマンボーしてしまう原因ベスト5!

1. 日本語表現が曖昧過ぎて何を言いたいのか分からない(自分で想像しないといけない)
2. 形容詞や副詞がどの単語にかかっているのか不透明
3. 主語や目的語を省略しすぎ
4. 大して意味のないことをダラダラと書き連ねている(本当に困る)
5. (自分にとっては意味不明の)略語やカタカナ語(和製英語)の濫用(いまだに“セレブ”の誤用は受け入れられない…)

でも逆に、書かれているダラダラ文章をバッサ〜リと切って、思いきった意訳をする時は、快楽とも言える爽快気分を味わえる!意訳万歳。

| マジメな話 | comments(0) |

フランス語学校の通訳コースに週1で通い始めた。一般的な語学の授業と違い、日本語もフランス語も通じればいいわけではないので、訳してない時でさえ、言い回し・文法・発音の間違いは少しも見過ごされず、先生には注意を受ける。日本語の場合は、初めて聞く人に分かりやすいように話すことが原則で、文法的におかしな言い方はもってのほか。フランス語に関しても、発音が間違っていれば必ず言い直しさせられるし、細かい規則を無視すれば(たとえ通じたとしても)指摘を受ける。これぞ正に望む授業であった!!外国人が外国語を話している時、多少間違っていても会話の流れでいちいち直されることはないが、直されないといつまで経っても正しい表現は覚えない。日本語しかり。だから、言葉の面で細かく指摘を受けるのはワクワクして楽しい。ゆえに、今迄いかに適当にフランス語を話していたのかを思い知らされる。

しかし!発音やら表現力やらの問題の前に立ちはだかる問題がある。通訳の授業ゆえ、使用する題材が政治経済のニュースが中心になることは想像に難くなかったが、案の定、今期はフランスの大統領選があったこともあり、選挙のニュースで占められている。一般常識が著しく欠落している僕にとっては、フランス語力以前の問題が大きく立ちはだかっているのだ。フランスの選挙や政治はおろか、こんなところで告白することがとてつもなく恥ずかしいのだが、日本の政治のことさえ知らない。日本語で聞いても分からないことは、フランス語で聞いたら尚更ちんぷんかんぷん。専門用語も出てくる。

そこでまず、日本の政治を詳しく勉強しなきゃと思い、池上彰著『政治のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ(増補改訂版)』という本を購入し、ゼロから勉強。これが非常に分かりやすく、今まで無関心だったことを大後悔するくらいよく分かった。オススメの1冊。生まれ変わったような気分だ。

次はフランスの政治体制。今やインターネットで調べれば何でも載っているけれど、大学時代、フランス語学ばかりに関心を集中させていた為、歴史も文学もテストにパスするだけのことしかやらなかった(いわゆる語学バカの典型?いやそれより酷いかも)。大学入学当時購入し、フランスの留学先にも持っていったにも関わらず、全く読みもしなかった本の存在を思い出した。新潮社から出ている「フランス」の本。この1冊には、歴史や文学はおろか、地理、文化、美術、音楽、建築、ファッション、映画などフランスにまつわるありとあらゆることが専門家によって書かれている優れものなのだ。広く浅く書かれているので、概要を知る分にはいい。本棚にただの飾りとして立ててあったこの本を、12年ぶりに手にとってみた。「第五共和制」の文字が目に飛び込んできて思わず感激、この本は僕に買われて初めて陽の目を見たことになる。

これからも知識を得る為の努力は欠かせない。10代から20代にかけて、ソッポ向いてたツケが今になってドドッと押し寄せてきている。あの頃きちんと勉強していたら、今はもっとフランス語の勉強に集中出来るのに・・・・・・・・・

と思うものの、一般常識にしろ時事問題にしろ語学にしろ、勉強すれば(努力すれば)必ず報われる。努力しても努力しても報われないかも知れない芸術分野のことを思えば、へっちゃらに思えるし、喜びさえ感じる。何かを始めるのに遅すぎることはない。正にこれから!!

| マジメな話 | comments(2) |
本来“性癖”という言葉は、生まれつきの性質や、性質上のかたよりを意味するのであるが、最近ではその“性”が性質ではなく、性的な意味での“性”と誤解され、“性的な癖”の意味で使われることが非常に多くなってきた。

でも言葉は生モノ。誤用が転じて市民権を得た言葉は沢山ある。きっとこの「性癖」も、もう市民権を得ているのであろう。そしてそのうち、性的な意味でしか使われなくなるのではないだろうか。

エロい話に絡めて「そういう性癖が・・・」といった言い方をされると、心の中で「性癖とは違うけど」と唱えるに留まるが、僕が性的な意味合いゼロで自分の性格を話す際に「性癖」という言葉を使うと、ニヤリとされ、「エッ?!」と意味深な目つきを送られることが多くなってきたので、使わない方が無難だ。
| マジメな話 | comments(0) |

Googleマップはどんどん精緻になってきている。そこで思わず入力してしまうのが、かつて自分が留学中に滞在していた家の住所。これがたまらない。胸がギューッと締め付けられるようだ。ストリートビューで家の近所の写真を眺めていると、走馬灯のように当時のことが蘇ってくる。出会った人たちはどうしているだろうか?今やSNSのお陰で繋がっている人も沢山いるが、そうでない人たちの中には、既に亡くなっている人、アルツハイマーになってしまった人もいる。

高校時代にアメリカ(ジョージア州)、大学時代にフランス(ブザンソン)にそれぞれ1年ずつ留学した経歴は、時に誤解を生む。家がお金持ちで、親はやりたいことを全てやらせてくれる理解力と経済力があり、何の苦もなくいとも簡単に留学を実現させ、現地では華やかで楽しい生活を送り、ペラペラになるほどの語学力を身に付け、一度付けた語学力は衰え知らずで、それがあれば世の中渡っていけると思っている・・・などなどなどなど。誤解を解こうとしないのは、十代の頃からの僕の悪い癖かも知れないが、時に息苦しい。

中学3年の時、高校留学に大反対する親を納得させようと躍起になり、1年弱の間、親と戦争のような嵐の日々を過ごしていたことは身内しか知らない。大学時代のフランス留学前には、ロータリー財団の奨学金を得るために、数度に渡る怒涛のような面接・試験・提出を繰り返す。これが果てしなく面倒で辛い。ゆえに「途中で断念する人もいるから、諦めずにしがみついた人の勝ちだから頑張って」と先生に言われた程だが、実際、学費から生活費まで留学中に必要な全ての費用が、返済義務なしで与えられる奨学金なのだから当然といえば当然だ。スポンサーになってくれたロータリークラブの面子を潰さないように、プレッシャーを感じながら幾つもの試験に挑まなくてはならない。応募してから正式な“ロータリー財団奨学生”になるまでには、1年近くを要する。高校時代にしろ大学時代にしろ、やっとの思いで渡航出来たわけだが、バラ色の日々が待っているわけではない。日本にいるよりも、ずっとツライ。毎日が刺激的でドラマティック、というのは実は大変なこと。苦悩の日々が続く。

でもそれは覚悟の上。乗り越えた時に、身に付いているものは語学力以上のものだ。幸か不幸か、母語である日本語を客観的に見る習性が身に付いてしまった。言葉に苦労すれば、言葉に執着心が沸く(好き嫌いは別として)。言葉をファッションとして捉えたくない思いが強くなり、日本語の歌詞に英語のフレーズが意味もなく(しかも時に間違った意味で)入ることに強い抵抗感を覚えるようになった。外国語が出来なくても全て外国語で歌う歌手がいるように、外国語を身につけても日本語だけにこだわる歌手がいてもいい。その日本語は、外国語を身につける途上で得た客観性からくるものだと思うから、無駄にはしていない。

渡米前あんなに好きだった英語が、アメリカで暮らし始めて「得意科目」ではなく、生きていく上での「手段」になった時、日本語と比べると味気ない言語に感じ、来る日も来る日も、まるで暗号を話しているような気になり、更にはこれといった文化のないアメリカに対してもどんどん幻滅しそうになっている自分がいた。そして、英語さえ話せれば世界どこへ行っても不自由しない、不自由すればそれは英語を話せない現地人が悪い、といった英語帝国主義的な態度をとる人たちに対する嫌悪感は20代の時にピークを迎え、「英語」にも「アメリカ」にも心はどんどん縁遠くなっていった。今はもう落ち着いたが、ごくたまに僕自身に発生する留学経験の厄介な副産物との闘いに、孤独とつまらなさを感じることもある。

日本語・英語・フランス語、どの言語が一番好き、というのはない。日本語には文字も沢山あって、奥深い表現があるから好き、という気持ちもない。唯一の母語だから大切にしているという思いだけ。英語がカッコイイとも、フランス語がロマンティックとも思わない。言葉はコミュニケーション上の大切なツール、という冷めた感覚だが、面白いことは沢山ある。

英語圏の学生がフランスに留学すると、ひとつ言語的な問題が発生する。フランスの大学では日常的な言葉として用いられる“ファック”。faculteを短縮したfac=「学部」という意味で、「今から“ファック”で講義を受けてくる」という風にも用いる。
言わずもがな、英語においてFuckとは、一番言ってはいけない言葉。ある時、フランス語に不自由していた学生に「何処に行くの?」と訊かれ、何ともなしに、
「ファック (fac) に行ってくる」と答えたら、
「ファ、ファ、ファ、ファッッッック???」
“ファック”に過剰反応した上、腰を抜かしていた。まさか、大学にFuckしに行く、と思われたのではないか?と今でも思っている。

誤解は解くにこしたことはない。

| マジメな話 | comments(2) |

昨日、友人たちと東中野の正寿司でとびきり楽しい夜を過ごした帰り、携帯でパソコンに届いているメールをチェックしたら、ケネディー先生からメールが届いていた。彼は、僕が高校2年の時にアメリカ・ジョージア州に1年間交換留学していた学校の、音楽の先生だった。出会いから16年の歳月が流れている。当時は先生と生徒という関係で、しかも親子ほどの年齢差があったにも関わらず、まるで気のおけない同世代の友人かのように、先生の家にお邪魔したり、出かけたり、楽しく交流をしていた。ここ数年は、音信不通になっていたが、当時の留学先の友人たちが多数登録しているFacebookにより、先生とも再び連絡を取り合うようになった。

今回届いたメールをサラッと読んでいたら、奇妙な文面に辿り着き、一語一語を噛みしめるように読み進めた。
来月、テキサス州サン・アントニオに行って、クローフォード先生に会って来ます
クローフォード先生がテキサスに?

・・・クローフォード先生は、ケネディー先生よりも少し年上の女性で、フランス語を教えていた。当時僕はクローフォード先生のフランス語の授業を履修していて、この2人の先生と、更にESL(English as a Second Language = 第二言語としての英語)の先生だったバートン先生とは特に親しく、毎日のように顔を合わせては笑い合っていた。

クローフォード先生はジョージアにいるはずなのに、なぜテキサス?
今、彼女(クローフォード先生)はテキサスにある介護施設に住んでいます
介護施設・・・なぜ?
アルツハイマー病に冒されてしまったからです
体中に寒気が走った。クローフォード先生の声、笑顔、笑い声、ジョーク、英語訛りのフランス語発音、帰国の際にくれた昔のジョージアの絵が描かれたポストカード、先生の家、先生の息子さん・・・次々に蘇ってくる。
まだ50代後半という、人生の中ではかなり早い段階でその病にかかってしまいました。何も覚えられなくなってしまう前に、もう一度会いに行こうと思ってます。クローフォード先生の近況を君が知りたがっていると思い、今回メールしました

今、クローフォード先生は60代前半のはず。50代後半にその病に冒されてしまったということは、若年性アルツハイマーということになる。今の時点でどういう状態なのか、自ら望んでテキサスの介護施設に入ったのか、自分の病を認識しているのか・・・ 今回のメールには記されていなかった。今すぐにでも会いに行きたい想いに駆られるが、気軽に行けるような距離でもない。

ちょうど15年前の今頃、アメリカから帰国する前夜に、友人たちや先生たちをホストファミリー宅に招いてパーティーをした。あの時、皆は口々に僕に別れを告げて、それぞれの家に帰って行った。まるでまた明日学校で会えるかのような気持ちが抜けなかった。なぜ僕が皆に別れを告げられているのか、頭では理解していても、心が追いつかなかった。苦しいことが沢山あったのに、楽しい思い出ばかりのような気がした。バートン先生が去り際に「寂しくなるよ!!!」と大きな声で言った時、僕は自分がもう明日からは、この場所にいないことを認識した。

今度またいつ会えるのか、いつ会いに戻って来るのか、そんなことは考えなかった。きっといつか会えるのだろうと思っていた。でも実際は、この15年の間、誰ひとりとして再会は果たしていない。あの日々を思い出すと、まるで昨日のことにように色鮮やかに蘇ってくる。それは、切ない。

| マジメな話 | comments(0) |

先週は六本木にライヴを観に行って、その後打ち上げに参加させて頂き、12時前に店を出たので、12時半くらいには帰宅出来るはずだったのに、電車で寝過ごしてしまったが為に結局1時半過ぎの帰宅。

昨日は広尾にイタリアンを食べに行った。その後バーに行ったのだが、程よく酔っ払うと帰りたくなくなる僕。「泊めて〜」と図々しくお願いし、ダブルベッドに3人で川の字になって寝た。失礼致しました。狭い思いをおさせ致しました。ほんでもって今朝は叩き起こされた5分後に家から出されたので、僕はひとり喫茶店で朝食をとることにした。

1年に2回ほど、その喫茶店で朝食をとる。目玉焼き&トーストのモーニングセットを頼み、先に紅茶が来たけれど、メインディッシュを待つこと15分以上。明らかに、僕よりも後から来た客の最低2人は、既に食べ始めている。こっちは時間がねぇ〜。モサッとした男店員をとっ掴まえる。
「まだですか?」
「申し訳ございません。いつもよりも時間がかかってまして・・・」
「順番が逆になってません?」
「えっ・・・順番?それはないですけど・・・」
「(他の客と)順番逆になってますよ!」
「えっ・・・確認して参ります」

そして3分後、モサ男が目玉焼き&トーストセットを手にやって来た。
「申し訳ございません、伝票が出ていなくて・・・」
「ですよねぇ?」
「申し訳ございません」
「明らかに、後に来たお客さんのところに、先に行ってますよね?」
「申し訳ございません」
「おかしいですよね」
「申し訳ございません」
「帰ります」
「はっ・・・」
「20分も待たされて」
「申し訳ございません」

たかがトーストセットに20分も待たされたので時間がなくなり、5分で食べ終えなくてはならなかったのだ。5分もあれば余裕で食べ終わるが、いそいそと慌てながら食べたくない思いがあったのと、拒否するつもりは元々なかったのにモサ男のモサッとした対応にイラついてしまったのとで、食べずに店を出ることにした。

出口のところに辿り着いた時、釈然としないものがあった。モヤッとする。3歩戻り、厨房から料理が出される台のところに居るモサ男に「気を付けて下さいね」と無表情のまま言い渡した。
「申し訳ございませんでした」
釈然としないまま店を出た。何が釈然としないのか?と自分に問うてみる。クレームを出して、怒って、注文したものを食べずに店を出る客を、出口までも見送らない……ことか?

イライラが増す。まぁ、伝票の出し忘れや順番の間違いなんてよくあることだ。怒るほどのことではない。総じて店員の接客が良いとは言えない店だが。

でも、トーストセットを作った人と、トーストセット自体には罪はない・・・。せつない。

| マジメな話 | comments(6) |

昨日はR様とメキシコ料理を食べに行って来た。メキシコ料理は僕にとって、アメリカ時代そのまんまの思い出の味。と言うと、アメリカに片足でも突っ込んだことのある人ならば、必ず「アメリカでメキシコ料理?っていうか、Tex-Mex(テックス・メックス=テキサスとメキシコ混交の意)でしょ?」と返してくるほど、アメリカにおけるメキシコ料理は、メキシコ料理ではなく"Tex-Mex"だと言うが、そう言われれば、僕だってメキシコ料理は知らないのかも知れない。ほんでもって今日行った恵比寿の「ZONA ROSSA(ソナ・ロッサ)」は、雰囲気もイイし、店の人たちの感じも◎なのだが、Tex-Mexならぬ、じゃぱにーず・メキシカンという感じだった。まぁ、それは口コミサイトで知っていたのだが。僕がアメリカで食べていたものとは、まるで違っていた。正に日本の味!という感じではあるのだが、「何が何でもメキシコ!」を求めなければ、結構美味しいと思う。ゆえに、懐かしい味ではなかった。

そして今日は・・・16年ぶりに友と再会した。高校1年の冬、2ヶ月間我が家にホームステイしていた台湾人(オーストラリア在住)。彼はもう一児の父。今回、台湾への帰省の後、16年ぶりに日本に来たのだ。16歳の時に出会って、それから16年後の再会だ。お互い、ネット上で最近の顔を見ているので、「どんな風に変わっているだろう」という不安はないものの、やはりドキドキした。

「全然変わってないねぇ」と言われた。たまには「変わったねぇ」と言われたいと思うくらい、誰に会っても「変わってない」と言われる僕。少しフクザツでもある。そして僕は彼に「変わったねぇ。太っちゃって!」と申す。彼の日本語は当時よりも遥かに上達していた。日本のドラマや映画を観たりしていると言うので、英語もフランス語もなんら努力もしない僕は、思わず「そういう努力は大切だよね」と言ったら、「努力?ドラマも映画もレジャーだから努力とは言わないよ」と返された。

彼は僕の家にホームステイしていた時のことをよく覚えていた。もしかしたら、僕よりも覚えているかも知れない。特別な日々だったと言っていた。多感な時期の海外生活だ。長さは違うけれど、僕にとってのアメリカ時代のようなものかも知れない。当時日本に持ってきて少し残ったトラベラーズ・チェックをオーストラリアに帰ってから換金出来ず、なんと今回の旅行に持ってきたそうだ。16年越し!!

当時、彼が日本を去る時「また2〜3年後に日本に来る」と思ったらしいが、結局16年もの歳月が流れた。16年は長い。でもあっという間だ。僕は彼と今日再会し、再び別れた。次に会うのは、来年かも知れないし、16年後かも知れないし、30年後かも知れない。もしくは、二度と会うことはないかも知れない。人と人との間に、別れは必ずついてくる。サヨナラはいつも横でスタンバイしているのだ。それが人生だ。出会って別れて、別れて出会って、その繰り返し。手を伸ばせばすぐに触れられるくらい、つい最近のことだと思える遠い過去を想う時、僕の目の前で笑顔だった人々を回想し、僕はとてつもなく、かなしくなる。悲しくなる。哀しくなる。愛(かな)しくなる。

| マジメな話 | comments(0) |

僕は今日、珍しくも(?)、リラクゼーションの店でドカンと一発、クレームを出してしまった。

以前友達が「ヘッドマッサージが気持ちいい」と言っていたので、やってみたいと思いながらも月日が過ぎ、先月シンガポールでマッサージ店に行った際、ヘッドマッサージのみをやってもらおうと思い予約をしに行ったら、そういうコースはないけれども特別にやってしんぜよう、と僕の希望を聞いてくれた。が、直前になって頭だけでなく全身のコースに変更してもらった。それでも、頭の部分をやってもらった時が一番気持ち良く、もう天にも昇る心地よさだった。どうせならずっと頭だけやってもらえば良かったと思ったくらいだ。あのマッサージのオッサンを日本に呼び寄せたいくらいだ。

そして今日、20分で2千円のコースをやっている店を見つけたので行って来たのだ。受付にいた“やり手”風のお兄さん(僕と同年代)は、名札を見たら“チーフ”だけど、きっとやってくれないんだろうなぁ、と思っていたら、案の定、僕の担当は頼りなさそうな20代の男だった。

椅子に座って前かがみになり、頭を差し出す。すぐにマッサージが始まったが、その瞬間ガッカリ。整体にしてもマッサージにしても、触られたその一瞬で分かるものだ。「もう少し強めでお願いします」と言ったが、ただ強くなっただけ。1分経っても2分経っても、気持ち良さ指数はゼロ。これから気持ち良くなるかも知れない、という期待は持つが、持つだけムダであることは分かっている。不思議だが、下手な人に当たると「なぜ同じことばかり繰り返しやるんだろう、ずっと同じことばかりやるんだろうか」という思いにとらわれる。終わったらこりゃクレームだ、と思った。思わず、「ずっと同じことやってるんですか?」と訊いてしまった。
「あ、いえ・・・これから変わります」
しかし突然気持ち良くなる、なんてことはなく、ただ力まかせに押すか、撫でているだけなのだ。こんなものに時間とお金を遣っていることが心底バカらしくなる。リラクゼーションの店に来て、お金を払って、素人同然の男にただ頭を撫でてもらっているだけ、という状況に次第に腹が立ってきた。プロによる施術を謳うだけ謳って、これでは詐欺同然だ。耐えきれなくなった時、体は起き上がり、僕の口が勝手に動き出した。
「ぜんっぜん気持ち良くないんですけど!」
「あ・・・申し訳、ございません・・・どうすれば・・・」
「今、何分ですか?」
「・・・5分、です・・・」
「5分経ったんですか?それとも、あともう5分ですか?」
「残り5分です・・・あの・・・」
「これじゃ詐欺みたいなもんですよ。お金は戻らないんですよね?」(代金は前払い)
「はい・・・どうしましょう・・・か?」
もう5分続けられたとしても何の意味もないと思った僕は、「もういいです」と言って席を立とうとした。
「他のスタッフに代わることもできますが・・・」
「じゃあ、そうして下さい」

すると、受付にいたチーフが飛んできた。
「どうされましたでしょうか?」
「・・・これに2千円も払うのはバカバカしいですよ」
「大変申し訳ございません。では、担当を交代させて頂きますが、よろしいですか?」
「お願いします」
「20分間、内容は全く同じです。もしそれでも先ほどと同じ、と仰られても、どうすることも出来ませんので、そこはご了承下さい」
その瞬間、僕の感じ方がいけないのかと不安になったが、その不安はすぐに吹き飛んだ。チーフが僕の頭に触れた瞬間、先ほどとは全く違う感触であることは一目瞭然だった。対応しかり、これぞプロによるマッサージ!しかし、20分後顔を上げるのが憂鬱だと思った。それにさっきは言い過ぎたのではなかろうか?(勿論あの施術には全く納得はいかないが)

20分後「いかがでしたでしょうか?」とチーフに訊かれ「バッチリです」と答えた。するとチーフは再び謝罪の言葉を口にした。
「先ほどは申し訳ございませんでした。これからもっと勉強させるように致しますので」
「こちらこそ、無理言ってすみませんでした」
「いえいえ、こうして言って頂かないと、スタッフも成長しませんので・・・」
実際本当にそうだと思うのだ。一番恐いのはクレームも何も、反応を得られないことだ。あの彼は、僕の言葉に傷ついたのではないだろうか?今夜は落ち込んで眠れなくなるのではないだろうか?はたまた、これがきっかけでトラウマとなり、マッサージが出来なくなるなんてことは?!という思いもよぎるが、本気でやっていこうと思っているプロならば、これ幸いとしてその悔しさをバネに、起爆剤として、これから腕を上げていってほしいと思う。本当に。チーフもその彼も、ほんでもって僕も、気を遣いまくり合いながら別れの時を迎え、頑張れ!と僕は心の中で応援した。まぁ、僕は2度とこの店には来ないけれど。最初からチーフがやってくれていたらまた違ったと思うが、1人客を逃しても、それがきっかけで何倍もの客を増やすきっかけになるとも思うのである。僕だって、明日は我が身なのだ。明日じゃなくてもいつもそうだ。

それにしても・・・施術が終わった後、髪が乱れているからと鏡を渡されたのだが、髪の乱れよりも、顔を伏せていたことにより、僕の両頬はまるで赤ちゃんのように真っ赤で、とんでもない状態になっていた。この顔で、クレームも何もあったもんじゃない。恥ずかしさのあまり、髪の乱れも直さずに鏡を返した。

チーフは確かに上手かったけれど、やはりシンガポールのオッサンには遠く及ばなかった。あのオッサン・・・見た目は普通のオッサンだけど、やっぱり相当なやり手だったってことだね。

| マジメな話 | comments(2) |
◆カテゴリー
◆過去の日記
◆オススメ
<< 2/8 >>