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今年も例年通り、鶴岡で新年を迎えた。


大晦日のテーブル。全て母ひとりの手作り。頭が下がります。

昨年祖母を亡くしているので、静かな正月だった。それなりに楽しく年末年始は過ごしていたけれど、ふとしたことや何気ないことで、祖母の不在を痛感させられた。心のどこかで「どうしていなくなってしまったのだろう」と呟いている自分がいる。今回ふと思い出したのは、中学時代のとある日曜日のこと。多分だがあの日は親と喧嘩して、僕は部屋でヘソを曲げていたはず。反抗期真っ盛りの対抗心が作用したのかは定かでないけれど、そっと家を出て、自転車で20分程の祖父母の家に向かった。ちょうど昼時だった。親に行く先も告げず家を出て、僕は祖母に昼ごはんを食べさせてもらい、しばらくして帰宅した。青い時代である。思い返せば、親と喧嘩したり叱られたりすると、よく祖母に愚痴っていた。どんな話をしても、祖母は豪快に笑った。大声で。その笑い声と一緒に僕の憂さもどこかに飛んで行った気がする。祖母はよく笑う人だった。とても面白そうに。子供心にあの豪快な笑い方に憧れていた気がする。周囲の人をよく助けていた祖母は、強く明るい人だった。

1月4日、東京に戻る飛行機に乗った時、祖母の笑顔と笑い声をいつも思い出しながら生きていこうと思った。それだけで勇気と元気が出てくるような気がした。

5日は友達と東京で初めての初詣に行った。昼過ぎ、御茶ノ水の鰻屋で贅沢にうな重を食べてから、神田明神に行ったのだが、これがスンゴイ人の数!商売の神様が祀られていることで有名だからか、会社の人たちが皆でお参りに来ているようだ。怖気づいた我々は、最初に甘酒の店に入って、人の波が引くのを待つことにした。しかし、その店も次から次へと大人数でやって来るので長居も出来ず店を出たら、さっきよりも人の列が増えている!甘酒の前にお参りしておくべきであった・・・。参拝するのにこんなに並ぶとは思っていなかったのだ。とはいえ、ひとりひとりの参拝はパパッと終わるので、そんなに待たずに参拝出来た。



帰りは道路にまで人の列が連なっていて、警察が交通整理をしていた。いや〜それにしてもスゴイ人だった。人だかりの神田明神を後にし、日本橋で友達の買い物に付き合いデパートをウロウロし、夕方になってから麻布へ。もう1人友達が合流し、夜は3人でニュージーランド料理へ。ラム肉が絶品。しかもラム特有の臭みもなく美味しい。ついでに店員もノリがよくて面白く、ついついからかってしまう。新年、東京での1日目から、大いに大いに笑った笑った〜!!

そういえば年末に、かつてよく出ていたライブハウスから電話がかかってきた。音楽とは全く別件だったのだが、その電話をきっかけとして、今年は3年振りにライヴをやろうかと思っております!年内中には!!というわけで、年末から家で発声練習と演奏の練習も再開。意外と覚えているものです。ライヴが決まった暁にはよろしくお願いしますネ!

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あっという間に10月ということは、じわじわと師走も近づいているということである。恐ろしい・・・。

バッタンバッタンと晩夏は過ぎて行った。シンガポール出張から戻ってからの2週間は通常通り仕事して、せわしなく日々を送り、帰省して、東京に戻り、その数日後には再びトンボ返り。山形市で10年振りに友達と再会したり、故郷を友達と観光したり・・・していたらあっという間に10月というわけである。

 

↑振り向いて笑顔
↓振り向いて睨む


そして先日は千葉へ。岸惠子さんの一人芝居を観に。ホントは東京公演のチケットを、しかも良席を発売と同時に取っていたのだが、旅行の日程と重なった為そちらは手放していた。埼玉、千葉、神奈川と関東での公演は続いていたのだが、どれもこれも前売りの売れ行きがいいようで、後ろの席しか余っておらず、行く気にならないでいた。しかしやっぱり、これが「最後」と言われていた昨年の公演の再演だから、もう来年はないかも知れないと思い、千葉公演に行くことにした。

公演当日、会館に電話で問い合わせると、当日券は若干枚数しかないというので、雨の中、早めに家を出た。もし現地に着いて、当日券が手に入らなかったとしても、まぁそれはそれでいいやと思った。なんせ片道1時間半の道のり。読みたかった本が随分進むのだから、それもいいかと。当日券販売時間の10分前に到着。運良く当日券を入手出来た。しかも、座席表を見ながら、空いている中から選ぶことが出来たのだが、センターの真ん中席という超いい席!後部座席の前売りを買わないでおいて良かった。そう、当日券というのは、あらかじめ押さえられている関係者席が開放された分が回ってきたり、運がいいと前売り券よりも良かったりするのである。ラッキ〜!

公演の内容は自著「わりなき恋」の短縮版を朗読劇にしているので、あらかじめ本を読んでいると物足りなさを感じる部分もあるのだが、ピアノの生演奏と、著者の一人芝居で、秋という季節にぴったりの、充実した1時間40分だった。

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毎年、鶴岡にいる祖母と友人から庄内産の美味しいメロンが届きます。これが甘いのなんのって、そりゃあ口の中が大騒ぎになるわけですね。昨年は、大学時代の友人にひとつお裾分けしたら喜んでくれたのだけど、後日、その友人に会った際に開口一番に言われたのが、「実はメロンって苦手なんだけど・・・」。えええええええ?!メロン好きじゃない人なんているの??そりゃあいるか。まぁ、さすがに貰った手前「苦手だから要らない」とは言えなかったか。と、心がざわめいたのも束の間、
「でも、あの貰ったメロンは、なぜか、これは食べなきゃ!という気になり、食べてみたら、あまりの美味しさにペロっと食べた。甘くて本当に美味しかった!ありがとう」
いやはや、二度びっくりしたのであります。

今年は別の友人からLINEでこんな画像が届きました。埼玉の某スーパーで見かけたそうな。



この友人はその時は買わなかったのだが、僕が「最高のメロン」であることを教えてあげた為に、3日後に買おうといそいそ出かけたら既に売り場になし。店員に訊くと、メロンの中では売り上げナンバーワンなのだけど、熟れた為にもう売り場からは外したと。諦めきれぬ友人は「熟れていてもいいから売って!むしろ熟れていた方がいい!」と粘った。それでも店員はウンと言わず。そこでめげる友人ではない。なおも踏ん張った。すると、その店員は倉庫から1個庄内メロンを出してきて半分に割ったそうな。
「ほ〜ら、こんなに熟れているんですよ、お客さん」
ヨダレで床が水浸しになるくらい、その熟れたメロンに惚れ込んだ友人は尚更説得に熱が入る。
「お願いです!これを売って下さい!・・・何なら、安く売って!」
さすがであります。結局彼は、4個+先程半分に割られた分と合わせて合計4.5個のメロンを1,200円でせしめたのでありました。粘り勝ち。

さて、僕は別の友人から、メロンにブランデーを入れて食べると美味しい「らしい」という情報を仕入れ、スーパーで安物のブランデーを買い、庄内メロンにチョビチョビと入れてみたのであります。それが一番上の写真です。しばらく浸けておいてから食したところ、少しブランデーをケチってしまったのか、はたまたメロンの切り込みが足りなかったのか、さほどの感動は味わえず。

翌日。今度はもっと細かく切って、ドポドポとブランデーを垂らし込みました。



これが正に!その!メロンとブランデーのコラボレーションってやつなんですね!と頷きました。何とも贅沢な味。メロン単体でも勿論美味しいけれど、この豪華な融合もオトナな感じで捨て難いです。オススメです。

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気が付けば前回の投稿から早1ヶ月以上。もはやハルヴァも既に食している(「魅惑のハルヴァ」参照)。とんでもない味を想像しすぎていたからか、ぶっ飛ぶような美味というよりは、子供の頃に食べたような懐かしい味で、確かにごま油、ナッツ、そして蜜に様々な香辛料が次から次へと舌を楽しませてくれた。懐かしいと表現はしたものの、初めて食べたような感じも勿論あるのだ。変な安っぽい甘さはなく、食べた後に口の中に残る味が上品だった。

 

この1ヶ月はハルヴァとの出合いに始まり、あちこち食べに行った。ギリシャ料理、ブラジル料理(シュラスコ)、イタリア料理に焼き鳥に・・・・・・そして極めつけは、両親・祖父(90歳)&伯母と共に、河口湖(富士ビューホテル)、熱海(大観荘)に泊りがけで行ったこと。熱海の大観荘は友人たちと行った5年ぶりで、前回と変わらず身も心も舌も大満足に包まれた(今回もあわび三昧コース)。熱海の朝は雨に降られたが、それ以外は天気もよく、愉快な旅だった。僕のモットーは、行きたいところには行ける時に、行ける人と!後回しはせずである。

熱海から東京に戻り、体調を崩している伯父を皆で見舞いに行ったら、伯父に「毎日ブログを見ているのに6月8日から更新がない!」とご指摘。毎日欠かさず見てくれる人はこの地球上でそう多くはないので貴重な存在である。毎日アクセスしているにも関わらず更新がないというのはさぞかしガッカリのはず。そんな伯父の為にも更新頑張ります宣言を致します!くだんの伯父、更新の少なさを嘆いた後、もう一言追加で「ただ、(君の文章は)長い!」。これはお許し下され。なぜなら、僕は長い文章を読むのも書くのも好きだからである。かつては(特に留学時代)、手紙の長さにかけては一級品であった(質はどうであれ)。ルーズリーフびっしり10枚とか!逆に僕がそんな長い手紙を受け取ったら・・・やっぱり嬉しい。

贅沢に美味しいものを沢山食べた1ヶ月だったが、久しぶりに西荻窪の戎で焼き鳥を食べたら美味しいのに激安で、ヒデキ感激(ヒデキじゃないけど)。10年以上僕の髪を切り続けている美容師と久しぶりに飲んだのだが、憎まれ口が程よいつまみにもなり上機嫌で帰宅した。これに味をしめた僕は、別の機会に、これまた久しぶりに新宿の思い出横丁(ションベン横丁)に出没。西荻同様、安くて美味しい、を期待していたのだが、そういえばションベン横丁は安くはなかったのだ。カウンターに座れなかったので狭い2階のテーブル席に通され、ガラの悪い若者たちの異様な雰囲気の中、清潔感ゼロの店で、不味くはないが安くもない、どっかの国の店員の適当なサービスに、特に満足することもなく店を後にし、帰宅してからもあの不潔さを思い出して(特にトイレの行き来)、顔を歪めたが、逆に、こういう体験はいついつまでも笑い話として思い出に残るので、それもいいかと思い直した。だから思い出横丁なのか?違うと思うけど。

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米原万里回顧展で頭に血が上る」の続き。

米原万里ファンならば、一度でいいからハルヴァを食べてみたいと、心の底から思ったことがあるはずだ。もし米原ファンでハルヴァを知らないと言うなら、その人はモグリだ。食べ物についてのエッセイをまとめた本『旅行者の朝食』の中に「トルコ蜜飴の版図」というエッセイが収められている(今年刊行された『米原万里ベストエッセイ I』にも収録)。この中に描かれているハルヴァというお菓子、それは一体、何なのだ?そんなに美味しいお菓子とは何なのだ?ええええっ?どこに行けば食べられるのだ?と、すべての米原ファンは涎を垂らしてそのエッセイを読んだはずだ。その証拠に、米原さんが亡くなって7年も経った後の2013年に、NHKの『グレーテルのかまど』という番組で、「米原万里のハルヴァ」と題してハルヴァが取り上げられている

僕の文筆力では到底、ハルヴァの魅力を伝えきれないので(食べてもいないのだから当たり前だ)、米原さんの「トルコ蜜飴の版図」の一部をまずは読んで頂きたい。

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 小学校三年の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋に寄って買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURECKYMED”直訳すると、「トルコの蜜」すなわちトルコ蜜飴だったのだ。 
 ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。並のキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。 
 なのに、ロシア人のイーラは言う。 
「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」 
「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」 
「えっ、ハルヴァを知らないの。じゃ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」 
 夏休み明けの九月一日、イーラは約束を果たしてくれた。ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。蓋に白字で“ХАЛВА”(ハルヴァ)とだけ書かれてある。今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。 
 蓋を開けると、ベージュ色のペースト状のものが詰まっていた。イーラは、紅茶用の小さなスプーンでこそげるように掬うと、差し出した。 
「やっと手に入ったの。一人一口ずつよ」 
 こちらが口に含んだのを見てたずねる。 
「どう、美味しい?」 
 美味しいなんてもんじゃない。こんなうまいお菓子、生まれて初めてだ。たしかにトルコ蜜飴の百倍美味しいが、作り方は同じみたいな気がする。初めてなのに、たまらなく懐かしい。噛み砕くほどにいろいろなナッツや蜜や神秘的な香辛料の味がわき出てきて混じり合う。こういうのを国際的に通用する美味しさというのか、十五カ国ほどの国々からやって来た同級生たちによって、青い缶は一瞬にして空っぽにされた。 
 たった一口だけ。それだけでわたしはハルヴァに魅了された。ああ、ハルヴァが食べたい。心ゆくまでハルヴァを食べたい。それに、妹や母や父に食べさせたいと思った。ハルヴァの美味しさをどんなに言葉を尽くして説明しても分かってもらえないのだ。

(2002年、文藝春秋刊、米原万里著『旅行者の朝食』収録「トルコ蜜飴の版図」より)
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エッセイの中では、ここから先、数十年に及ぶハルヴァ探しが展開される。イスラム圏を中心に、ハルヴァというお菓子は広がっているが、地域によっても微妙な違いがあり、米原さんが最初に食べたのと同じハルヴァに再び巡り合うまで、かなりの時間と偶然を要している。その遥かなる道のりが、読者に「その魅惑的な食べ物はどんな味がするのだろう?」と強く思わせる。僕だって多分に漏れず、ハルヴァを食べみたいと切に願う米原ファンのひとりだった。米原さんの実妹・井上ユリさんの新刊本『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』の中にもハルヴァについて書かれており、2人が食べたあのハルヴァにもっとも近い味のハルヴァに再び出合えたことが明かされている。

今回、米原万里回顧展で配られたハルヴァがそのハルヴァなのか訊くのを忘れていたが、きっとそうに違いない!今、僕の手元に、その憧れ続けたハルヴァがある。口にすれば十数年来の願いが叶うのだ。でも、いつ食べられるのか?今すぐにでも食べられるのだが、万全な時を僕は待っている。勿体ぶって、今だ!という時に、コンディションを万全にして食べたい。そう、きっと、近いうちに・・・。


回顧展で貰ったハルヴァ
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僕がこの世で一番敬愛する作家といえば米原万里さんだ。まるで音楽のようなリズムを感じさせるあの文体、選び抜かれた語彙、豊かな発想力と経験、そして知性。1ページ1ページをめくるのが勿体なくて、一文字一文字を丁寧に目で追う程だ。米原さんがガン闘病の末56歳で亡くなって今年で早10年。先月末「米原万里没後10年フェア 心に効く愛と毒舌」と題して、八重洲ブックセンターで回顧展があった。それを記念して、5月21日(土)に元外交官の佐藤優さんが米原さんのエッセイをまとめた『偉くない「私」が一番自由』刊行記念として、翌22日(日)に米原さんの実妹である井上ユリさんが『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』刊行記念として、それぞれのトークショーが行われた。各新刊本購入者・予約者先着80名だったのだが、あろうことか、僕は気合いが足らず、早く電話注文すればいいものを、明日明日と延ばしていたら、あっという間に80名に達して、トークショーへの道は閉ざされてしまった。

井上ユリさんのトークショーは2008年に山形の遅筆堂文庫で米原万里展が行われた際に行ったからいいや・・・となんとか自分を慰め、22日(日)に回顧展に向かった。どうせトークショーの会場には入れないのだからと、時間を気にせずに八重洲ブックセンターに向かったところ、ちょうどトークショーが終わる頃に回顧展の会場に着いたら、僕の頭はパニック状態になった。なんと、トークショーの会場の扉は開けっ放しで、会場に入らなくても聞くことが出来た上、会場内には立ち見がわんさかいた。先着80名に漏れても、会場にのこのこ出向けば良かったのである!正直者はバカを見るとはこのことだ。更には、トークショー後のサイン会にも、本を持って行けばサインしてもらえたのだった。僕はどうせ井上ユリさんにもお会い出来ないだろうからと本も持参しなかった。正直者は大バカを見る。果てしない後悔が心を突き刺す。ならばせめて・・・井上さんとお話ししようと、サイン会が終わるのを待つことに。(しかしだ。厳重に80名のみを対象としないのであれば、電話した時に、立ち見でも聞けますよ、くらいの案内をしてほしかったものだ!)

もしや・・・と思い会場の中を見回すと、やはりいらっしゃった。僕がこの世で二番目に敬愛する作家、田丸公美子さん(イタリア語通訳者)が!米原さんの親友であり、僕が米原さんの存在を知ったのは田丸さんの本がきっかけだった。5年前、田丸さんの講演会に行って、その熱い想いを語りまくり、その後文通もして頂き、更には僕のライヴにも来て下さった。今回田丸さんにお会いするのは実に4年半ぶり。「お久しぶりです、高橋功です」と声を掛け、また始まる、僕の興奮冷めやらぬトーク。
「最近、お書きにならないんですか?定期的にネットで、いつ新刊本が出るか検索しているんですけど」
「ちょっと最近は開店休業状態なのよ」
「是非、お書きになって下さい」
「(2年前に出た)『シモネッタのどこまでいっても男と女』はお読みになられた?」
「もちろんです!発売日に買って何度も何度も読みました。両親にも読ませました。最近も読んだところです。田丸さんの一文字一文字が愛おしいんです。凄く好きな部分があったのですが・・・今、田丸さんを目の前にしてコーフンしているので、思い出せない・・・」
などと、興奮しながらもベラベラ喋りまくる僕。失礼もあったかと思うのに、いつも田丸さんは丁寧に対応して下さいます。

さてその後、まるで不審者のように、井上ユリさんをジロジロ見つめながら、サイン会が終わるのを待ち続けていた僕。最後の人が終わった瞬間、すかさず井上さんに歩み寄る。なんせ、今現在、この世では米原万里さんに一番近い近親者ということもあり、これまた興奮状態に。
「今回80名に漏れてしまって、トークショーは聞けなかったんですけど、あ、まさか会場に入れるとは思わなかったので結局聞けなかったんですけど、しかも、お会い出来るとも思ってなかったので、本も持参してきませんでした。でも本は購入しました。あの、2008年に山形で行われたトークショーには行きました。今後またトークショーの予定はないんですか?」
「今のところは予定ないんですけど、お呼びがかかればやりたいです。是非呼んで下さい!」
「今後に期待してます。今、この本(井上さんの本の中で紹介されていたジュンパ・ラヒリ著『べつの言葉で』)読んでます!」
「ああ、その本ね。万里が生きていたら、どんな風に評したかしらと思って・・・」
「そうですよね。今、興味深く読んでいます」
「今日は万里の本をお持ちでない?もしお持ちになっていたら、この、万里の(サインが書かれた)シールを貼ってあげられるんだけど・・・」
「持って来てないんですよ・・・。残念。ところで、あの・・・ハルヴァは頂けるんでしょうか?」
「もちろんです!どうぞどうぞ」
胸が高鳴る。夢にまで見た、憧れ続けたハルヴァ。この回顧展でハルヴァの試食が出来ることは知っていたが、実際のところ、サイン会に並んだ人にだけ配られていたのだ。僕はどうしてもハルヴァを食べてみたい。サイン会に並んでないのに、図々しくハルヴァを貰うことなんて出来るのだろうかと思い、恐る恐る訊いたのだった。田丸さんと話して興奮し、井上さんと話して興奮し、そして極め付けはハルヴァを手にして興奮し、日常生活で経験し得ない興奮が3度も連続で続き、頭に血が上った。

さて、そのハルヴァとは・・・(次回に続く)。
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父方の祖母が87歳で亡くなってもうすぐ1年になる。僕は高校卒業まで一緒に暮らしていた。晩年は寝たきりの生活が長く続き、心身共にかつてのような健康状態までに回復することはないであろうという現実が、僕の中で切ない思いとして受け止めていたからか、当時は、祖母が元気に回復して歩けるようになる夢をよく見ていた。
「おばあちゃん!治ったの?歩けるようにもなったの?」
と問うと、微笑みながら「そうだよ!治った」と祖母が答えて、僕の目が覚める。僕は、日常的に関わる職場の人や友人知人はおろか、家族の夢はあまり見ない。それなのに、祖母は亡くなってからもたまに登場する。内容は同じく「治ったの?」「治ったよ」というやりとりのこともあるが、最近は違ったストーリーを見せてくれる。先月は、割烹着姿で台所に立つ40代か50代の祖母が登場した。たぶん、去年葬式の時に見た、割烹着姿の昔の写真が印象的だったから、そのまま出てきたのだろう。

そして先日はなんと、80を過ぎた祖母が、それこそ体力も気力も完全回復を遂げて、アメリカに単身1年間留学するという、ぶっ飛んだストーリーで登場してくれた。留学先はフロリダ。その地には、父の友人の友人であるアメリカ人女性がいて、30年前に我が家にも遊びに来たことがある。去年、30年振りに山形を訪れ、僕は電話で30年振りに会話をした。その女性の世話の元、祖母は1年間アメリカに留学するのだと言い、意気揚々と旅立って行った。1年間の期限付きであるにも関わらず、残された祖父はうなだれ、かくいう僕は号泣していた。そこで目が覚めたので、祖母の留学中のエピソードも、帰国後の姿も分からずじまい。どうせなら、どんな留学生活なのか知りたかった。

それにしても僕が夢の中で、なぜあんなにも号泣していたのかは謎である。夢に理由や回答を求めるのはバカげてはいるけれど、思うことはある。僕が高校2年生の時に1年間のアメリカ留学に旅立つ際、家族の誰も「寂しい」などという言葉を僕には吐かなかったけれど、祖母がボソっと僕に呟いた一言がずっと頭の中に残っている。僕の高校の国際コースは、2年生の夏休みの1か月間、クラス全員で修学旅行代わりとしてアメリカに語学研修に出かける。長期留学する人も一旦皆と一緒に帰国して、再び渡米することになるのだが、僕の場合は語学研修から帰国してから、わずか5日後の再渡米だった。その語学研修前のある日、祖母が「たった5日とはいえ、今回は1か月後に帰って来るっていうのがあるからいいけどねぇ・・・」と何気なく僕に言った。要は、今回の語学研修は1か月間のみで帰って来て、たった5日とはその間は家に戻るから寂しくはないけれど、その後のアメリカ行きは長いなぁ・・・と言いたかったのだ。

それまで毎日顔を合わせている家族がいなくなる生活は寂しくなるだろうなぁ、という想像は出来ても、16歳の僕は、やっと念願叶ってアメリカに留学が出来るという夢の始まりがすぐそこに迫り、とにかく溢れ出してたまらない夢と希望が、不安や寂しさなど吹っ飛ばすくらいに心の中を支配していたので(それが若さのいいところだとも思うし、若いうちはそのくらいでないとダメだと思う)、家族の気持ちを慮ることまで気は回っていなかった。実際、駅に見送りに来てくれた家族は寂しそうな顔をしていたし、3か月後に届いた祖父からの手紙には「功が居なくなってから随分長く経ったような気がする」と、まさかあの祖父が書くとは思えないような、驚く程に率直な気持ちが綴られていて衝撃を受けた(想像していたよりも遥かに大変だった留学生活を毎日必死に過ごしていた僕は、その祖父からの手紙に大いに泣かされた。僕にとっても長い長い苦しい最初の3か月だったのだ)。

そんなわけで、はからずも、今回の夢の中ではあの当時と正に逆の立場になったわけだ。あの時の祖母の気持ちが切なく響く・・・。とはいえ、現実では僕には孫もいないので、あの時の祖母の気持ちはやはり分からない。遠い未来に孫が留学でもしてくれた時に、祖母の気持ちも、そして祖父が手紙に書いてくれた時の気持ちもよく分かって、また思い出すのだろう。

それにしても、祖母の単身アメリカ留学生活・・・気になるなぁ!続きはまた夢の中で!
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たった数日前のことなのに、何がきっかけだったのかさっぱり思い出せないのだが、平井堅さんの「哀歌(エレジー)」を突然思い出して居ても立っても居られなくなった。2007年に映画『愛の流刑地』の主題歌としてヒットしたが、僕は平井堅さんの歌声や歌い方があまり好きではないので当時は「そこそこいい曲」くらいしか思っていなかった。とはいえ、その年の紅白での歌唱がかなり印象的だったので記憶には残っていた。あれから約8年経った今、きっかけはとにかく思い出せないけど何かの拍子でこの歌を思い出し、勢いあまってiTunesで購入した。かなりいい曲だ。ドラマティックに展開するメロディーもアレンジも秀逸だし、何より当時から「その手で 私を汚して」というサビの歌詞にインパクトがあって、ある意味“悔しい!”とも思っていた。これを女性歌手が歌うのではなく、男性歌手が歌うからこそ、余計にこの歌詞の色っぽさが増す。

聴いているうちに、僕が2009年に作った「塩水」という歌も少し似ていると思った(2010年にCD化)。

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2016年一発目のブログです。今年もよろしくお願いします。

年末年始は例の如く、故郷で家族と。史上最低視聴率を記録した紅白も全部観たものの・・・まぁ、別に国民に支持されている人気歌手が選ばれているわけではなく、プロダクションの力関係がモノをいっているのは今始まったことではないにしろ、どんどんひどくなっていると思う。出場歌手の選定を国民投票にしたら、去年の出場歌手のうち半分くらいしか選ばれないのではないだろうか。もはや今の紅白は「今年のヒット曲を歌う」ものではないので、今ヒット曲がなくても、国民誰もが知っている位の過去のヒット曲があって、支持も受けているなら出場資格は十分にあると思う。今の音楽シーンは昔と違い、全世代共通のヒット曲は生まれないから、紅白を盛り上げる為にも大御所歌手も必要不可欠。年々非難轟々の和田アキ子さんに至っては、そういう点で選出されてもおかしくはないと、最近では思っている。コンサートやディナーショーでは確実に集客出来ているようだし、誰もが知っているヒット曲もある。それよりも、ヒット曲としての数字はデカくても、その人のファンしか知らないヒット曲しかなく、今や単独でのコンサート開催さえ難しくなっている何人かの演歌歌手が、大手プロのバックアップだけで連続出場していることの方が疑問だ。結局、毎年紅白にごり押しで出たところで、翌年の公演やヒットに結びついているわけでもないように映る。でもこうして毎年変わらないのだろう。

最近はベッキーが話題になっているが、以前からあまり良い印象を持っていなかった僕としてはさほどの驚きでもない。あまりにも「ポジティブ」「元気」「優等生」を演じ切りすぎていて、テレビで観ていると逆に痛々しく思っていた。芸能人なんだから、当然、表と裏は持ち合わせてるはずなんだろうけど、ベッキーの場合はあまりにも完璧にポジティブなキャラクターをこなしているようで、息が詰まる。いつか爆発しないんだろうか、と思っていた。だから、今回のスキャンダルを逆手に取って欲しかった。大手プロダクションに所属する一売れっ子芸能人が、会見で発する言葉を本人の意思だけで決めることが出来ないのは想像に難くないが、「友人」という言葉を使って釈明したところで、誰一人として信じていないという現実。これまた痛々しい。

年末に観た昭和のワイドショー特集で少し放送されたあべ静江さんのブチ切れ会見が小気味良かった。YouTubeで検索したら少しだけ映像があった。
(5分40秒あたりから)
 
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どんな芸能人に直接会おうとも、思春期に一番好きだった憧れのスターと会うことほど緊張してアタマがおかしくなることはない。東京は街中で芸能人を見かけるチャンスは多くあるし、そこそこ好きな歌手と遭遇して「○○(マニアックな曲)が好きです!」と言って驚かせたこともあったけれど、この人となると、もう頭がイカレポンチになってしまう。

今回は30周年記念BOXの購入特典として、本人とツーショット写真が撮れて、サインを手渡ししてもらえたわけだが、あまりにも想いが強すぎて、逆に会場に行くのが憂鬱とさえ思えるほどであった!というのも、やはり、伝えたいこととか質問したいことは数えきれない程あるはずなのに、いざとなると何も出てこない。ただ一言「頑張って下さい」というのは絶対にイヤだし、90年代にやっていた毎週2時間の生放送のラジオを「中学時代毎週聴いてハガキも出しました」というのもありきたりすぎる。結局、「黒い鳥」というマニアックな曲が一番好き、と伝えるに留めておくことにした。

ところがどっこい、別に本人を生で見るのも、握手するのも初めてじゃないのに、目が合った瞬間もう頭はイカれてしまい、「黒い鳥」が一番好きだと言って本人をビックリ仰天させたところまでは良かったのだが、その後、言うまいとしていたセリフ「ラジオ毎週聴いてました。ハガキも出してました。電話で話したこともあるんです!!中学生の時」なんて言ってしまう。更には、やっぱりずっと疑問に思っていたことも質問しようと、「『Self Control』からのウィスパー唱法はご自身の意向だったんですか?」と訊いたら、ご本人、ちょっと困っておられた。「えっ、まぁ、そういうことも・・・」みたいに答えてくれたけれど、一介の人気アイドルがいきなりのイメチェンを自分だけの意向で出来るはずがないので、そこには会社の意向もあったはず・・・というのが僕の想像だが、こんなところで詳しく回答してくれるはずもなく!

そして写真を撮り、握手をして終わり・・・なのだが、最後は直視したかさえ覚えていない。絶対に「ああ言えば良かった」「こうすれば良かった」と後になってからあれこれ悔やむので、今回はそれがないようにシミュレーションしていたはずだったが、やっぱり「やっぱり別のこと言えば良かった」だの、もっと直視すれば良かった、だの思ってしまう。まぁ、舞い上がるとはこういうことなのである!
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